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教育実習生を担当される先生へ ~あなたは指導案のダメだしを何回までやっていますか?~

 教員養成の世界では,

 「教育実習の充実」は欠かせない要素の一つであろうが,

 学校現場における教育実習は,

 教師にとっては「負担増」,

 生徒にとっては「授業の質の低下」というあまりうれしくない代物である。

 もちろん教師は若いころの自分を思い出しながら,

 情熱をもって教育に取り組もうとする学生を見て悪い思いはしないし,

 生徒は自分と年齢が近い若いお兄さんお姉さんに接することができて,

 いい刺激にもなっている。

 ただ,教育実習生は「お客様」ではない。

 企業で言えば,正式な「従業員」の一人となる。

 だから企業は本気で教育に取り組むだろう。

 教育実習生を受け入れる学校側はどうか。

 本気で教師を育てようと思って教育実習生を鍛えているか?

 その指標は,それほど難しくない。

 指導案を何回くらい突き返しているか。

 授業の反省に何時間くらい費やしているか。

 子どもたちとどのくらい過ごさせているか。

 この姿勢は,

 自分自身が教育に向き合う姿勢とぴったり重なるはずである。

 もしも,

 教育実習生が授業をしてくれるから,

 自分は息抜きができる,

 なんて教師がいたとしたら・・・・

 教育実習は,現場の現在の教育の質も,将来の質も下げるのに

 貢献している制度ということになる。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より