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ダメ教師を見ると奮い立つ!

 藤田晋社長は,こんなことを言っている。

 成長し続けている会社は,外から見ると,安定しているように見える。

 しかし,それは錯覚にすぎない。

 静止して見えるコマが,

 実際は素早く回転しているようなものであると。

 柳井社長も,こんなことを言っている。

 会社経営では,会社も個人も成長しなければ死んだも同然だと。

 現状維持ではだめなのだ。

 私はかつて,このブログで
 
 「落ち着いた学校がすぐに荒れる原因」

 として,このような趣旨を述べたことがある。

 「荒れた学校」から「落ち着いた学校」に転任してきたある教師が,こんなことを吐き捨てた。

 「この学校では少し休ませてもらう」

 案の定,この学校は間もなく荒れ始めた。

 教師が全力で教育に取り組んだ成果としての「安定」なのである。

 学校を「安定」させるために,教師たちは「働き続けている」のだ。

 「安定した学校」は「安住の地」ではない。

 それを教師たちが勘違いしてしまうのが,学校が荒れる原因である。

 行政に入って,教師の中には「荒れた学校」を「安住の地」にしている人間もいることを知った。

 これでは公立学校はよくはならない。

 何がどうダメなのか。

 このブログ上では,それを書き続けている。

 荒れた学校で勤務したおかげかどうか,分からないが,

 「荒れた生徒」を見ると,教師としての血が奮い立つ。

 行政に入って,自分が学校現場で生徒に指導できなくなった3年間があったからかどうか,分からないが,

 「ダメ教師」を見ると,やはり奮い立つ。

 「ダメブログ」を見ても,本当に「やる気」がでる。

 なぜ,「ダメ教師」は自分の問題に気づけないのか?

 何度も繰り返している「ダメ指導」の例で恐縮だが,

 もしコメントをくれた中学生(自称)の四季さんがこの記事を読んでくれていたら,

 問わせてもらいたい。

 こんな教師,どう思う?

 部活動に遅刻してきた生徒がいた。

 顧問は遅刻してきた生徒ではなく,部員に何と言ったと思う?

 「何時なら全員がそろうんだ?」「部活動を始める時間を話し合いで決めろ」

 だって。

 その話し合いの結果に驚いた。

 普通なら遅れてきた人間が反省して,

 「次は遅れないので,時間通りにしましょう」って言うだろう?

 しかし,教師がキレて「全員が集まれる(遅刻しないですむ)時間」を決めさせたのが致命的だった。

 結果,集合時間を遅らせたそうだ。

 どうして遅刻した人間のために時間を遅らせなければならないのか?

 この教師は,

 本当に「遅刻」が大嫌いなんだろう。

 実際には,「全員に遅刻を認めた」ことと同じ結果になったのだ。

 間抜けとしか言いようがない。

 しかも,これを自分が転入したばかり(生徒のことが分かっていない)の状態で

 やったらしい。

 この教師は,普段の学校の授業に遅刻している生徒に,

 どんな指導をしていると思う?

 世の中には,いろんな教師がいる。

 その多くは,「裸の王様」なのだ。

 だから,その醜い姿に気づかせる人間が必要だと私は考えている。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
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