「ミス」ではなく,「無責任」が招いた評価・評定の誤り
「校務の省力化」として,コンピュータで成績処理を行っている学校が多い。
あらかじめ設定した計算式に基づいて,評価の結果が出る。
それを指導要録や通知表に記載する。
指導要録の内容は保護者に知らせることはないから,
保護者は通知表でしか指導要録を含んだ評価の誤りに気づくことができない。
横浜市では,数学や理科の教師による評定・評価の誤りが見つかったようだ。
「さもありなん」
と思うのは私だけではないだろう。
データの信憑性が怪しい科学者は職につけない。
数学や理科の教師の中には,
数学者や科学者になれない研究者の「落ちこぼれ」が多いというのを
聞いたことがあるが,
「さもありなん」である。
評価・評定の信頼が,
「入力した数字の正しさ」「計算式の正しさ」の確認」をされないと保証されないのが,
コンピュータによる成績処理の最大の欠点である。
教育的な話はここではしない。
そもそも,入力した数字自体が正しいのか,
そんな計算式で,本当に妥当な評価・評定が出せるのか,
それを議論しだしたら,それだけで何か月もたってしまう。
その話はここではしない。
「確認」作業というのは,非常にめんどうくさい作業である。
そもそも「めんどうくさい」からコンピュータを使うのだが,
この「確認作業」は案外,手間と労力のかかる仕事である。
それをやらないのは,「ミス」ではなく,
ただの「無責任」「責任放棄」である。
「ミス」と表現してしまう報道の姿勢は,
「ミス」ではなく,これも「無責任」である。
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