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「ミス」ではなく,「無責任」が招いた評価・評定の誤り

 「校務の省力化」として,コンピュータで成績処理を行っている学校が多い。

 あらかじめ設定した計算式に基づいて,評価の結果が出る。

 それを指導要録や通知表に記載する。

 指導要録の内容は保護者に知らせることはないから,

 保護者は通知表でしか指導要録を含んだ評価の誤りに気づくことができない。

 横浜市では,数学や理科の教師による評定・評価の誤りが見つかったようだ。

 「さもありなん」

 と思うのは私だけではないだろう。

 データの信憑性が怪しい科学者は職につけない。

 数学や理科の教師の中には,
 
 数学者や科学者になれない研究者の「落ちこぼれ」が多いというのを

 聞いたことがあるが,

 「さもありなん」である。

 評価・評定の信頼が,

 「入力した数字の正しさ」「計算式の正しさ」の確認」をされないと保証されないのが,

 コンピュータによる成績処理の最大の欠点である。

 教育的な話はここではしない。

 そもそも,入力した数字自体が正しいのか,

 そんな計算式で,本当に妥当な評価・評定が出せるのか,

 それを議論しだしたら,それだけで何か月もたってしまう。

 その話はここではしない。

 

 「確認」作業というのは,非常にめんどうくさい作業である。

 そもそも「めんどうくさい」からコンピュータを使うのだが,

 この「確認作業」は案外,手間と労力のかかる仕事である。

 それをやらないのは,「ミス」ではなく,

 ただの「無責任」「責任放棄」である。

 
 「ミス」と表現してしまう報道の姿勢は,

 「ミス」ではなく,これも「無責任」である。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
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  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より