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「理想の教師」という抽象的な話ではなく「理想的な指導」を追究する姿勢がないから,「教育的」でない話になる

 タイトルが長くてすみません。

 「理想の教師」とは,

 「理想の教師である条件をすべて満たしている教師である」・・・・なんて言ってみても,何も始まらない。

 この言葉には何の意味もないと思う人が多いのは当然だろうが,

 どうしてこんな話が登場するのか,というと,

 ある人は,採用試験に合格していない,非常勤講師などを「学校の先生」として認めたくない,

 採用試験に合格していないけれども(採用試験を受けていないけれども)

 「子どもが分かる授業ができる人」を「学校の先生」と呼びたくない,
 
 それを言いたいだけと考えればよい。

 

 非常勤講師の方が授業が分かりやすい,

 採用試験を受けてすらいない,

 塾の先生の方が授業がわかりやすい,

 まだ教員免許を持ってすらいない,

 大学生(教育実習生)の方が授業がわかりやすい,

 なんていうことを言われるのは,採用試験に受かって何年も教師を続けている人間からすると,嫌だろう。

 しかし,現実には,あり得る。

 
 子どもたちにとって,どんな人でもいいから,

 「分かる授業をしてほしい」という願いが「理想」になってしまったら,

 中学生でも「理想の先生」になり得るのである。

 
 生徒200人を動かすことを,

 採用試験を受けて合格している教師よりも上手にこなしてしまう中学生もいる。

 「これが理想だ」と言える指示が出せる中学生もいる。

 動きや指示が的確だから,下手な教師よりもその中学生にみんな従う。


 「ああいう採用試験」が常態化していたのは,大分県だけではあるまい。

 「採用試験に受かっている」のにダメな教師が多いから,

 公教育が信頼されないのである。

 

 採用試験に受かっていない人が「理想の先生」になれないかというと,

 子どもの立場からするとそんなことはないのだ。

 
 「採用試験」だから,想定されているのは公立学校の教師なのだろうが,

 国立大学法人附属学校の教師は,「採用試験」ではなく,「書類審査」と「面接」で採用が決定してしまうところがある。

 そういう教師は,「理想の先生」になれないかというと,そうとは言えない。


 ・・・・・・こんな話はいつまでしていても,意味はあるまい。


 「理想の教師」などを望むより,親も子どもも,学校の教師たちも,

 「もっとましな教師」を望んでいる。

 
 授業があるのに出張して,他の教師のために働いているような人間は,

 子どもにとっては「最低」の教師である。

 そういう出張命令を出している校長は「最低」の校長であり,

 それを黙認している教育委員会事務局の人間たちは「最低」である。

 
 ・・・いや,もっとダメなのがいるから,「最低」は訂正する必要がありそうだ。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より