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名前を間違えられる子どもたち

 私は基本的に自分の家族のことは書かないが,

 今日は一つだけ「悩み」を紹介させていただく。

 私の娘の名前は,一文字だけ,少し変わった字を使う。

 一文字だけなので,ぱっと見ると,

 全く違う読み方をする名前になってしまう。

 幼稚園のときも,

 最初のおたよりに紹介された子どもの名前が間違っていた。

 そして小学校に入学して,

 配布された家庭訪問の表の名前も,間違っていた。

 私は行政にいたことがあるから,

 先方の名前を間違えて書くというミスを犯したら,

 自分で退職願を出さなければならない,くらいの緊張感があった。

 学校現場は,そのあたりが非常に緩い。

 評価や出欠の数を間違えてしまうなんてくらい,平気でやってくれるところである。

 せめて,受け持っている子どもの名前くらいは正確に覚えてほしい。

 残念ながら担任教師は,

 入学して10日以上がたっているが,

 まだ私の子どもの名前を覚えていない。

 (間違った名前で入力していることがわかる間違え方であり,「入力ミス」ではない)

 特に知らせたりすることはしないが,

 親としては腹の立つことではある。

 これが,中学校入学後はどうかと考えてみる。

 私は社会科の教師なので,

 名字の由来について,本人に確かめてみることが多い。

 ついでに,名前の方の「親の思い」などを聞くことがある。

 そういう目で子どもの名前を見るから,

 字をよく見ないで「何となくこういう名前だ」という勘違いをすることはない。

 どうして「この字を使ったのか」を常に想像したりするからである。

 中等教育の教師と,初等教育の教師の学力レベルに,

 それほど大きな差があるとは思えないが,

 私の子どもの名前は,その差を示してくれる材料の一つになるかもしれない。

 中学校入学のときを楽しみにしてみたい。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より