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初任(新卒)のころの自分を超えろ!

 初任者にしかない武器がある。

 それは「おかしな教師を見る目」である。

 慣れてくると,何がどう「おかしいか」が見えなくなってくる。

 教育現場に立って一番驚くのは,

 いろんな生徒がいる,ということよりも,

 いろんな教師がいる,ということだろう。

 いろんな生徒がいるということは,自分の生徒時代に気づけることであるが,

 自分が習っていた教師たちに,

 「まさかこんな面があろうとは」

 と愕然とする場面に出会うことになろう。


 会議で寝ている。

 時間に遅れてくる。

 提出物の締め切りを守らない。

 生徒の扱いがひどい。

 言葉づかいが荒い。


 こんなのがざらにいる学校は,

 荒れているか,すごく落ち着いているか,どちらかである。

 すごく落ち着いている学校でそういう状況が見られるときは,

 そのうち荒れてくるので楽しみに?していてほしい。


 さすがに今,職員会議や朝の打ち合わせで管理職に聞こえるように悪口や野次を飛ばす教師は少なくなっただろうが,本人がいない場では,言いたい放題という場面に出会うだろう。

 初任者は,初任者研修をはじめとして,

 管理職と過ごす時間が教師生活の中で最も多い1年だから,

 問題教師たちに染まりきって同化する人間はいないだろうが,

 「基礎基本」が培われると,2年目からどうなるか分からない。

 初任者研修に出かけると,同じ自治体の初任者たちと毎週のように会うことになるが,

 この初任者たちの中にも,実はすでに「問題性」が見えてくることもある。

 人間は,習慣の奴隷である。

 1週間で染まる,

 1か月で染まる,

 1学期で染まる,

 いろんなスパンがあるだろうが,

 最初に出会った違和感だけは忘れないでほしい。


 初任者には,現場を離れて研修しなければならない「初任者研修」という悉皆研修がある。

 そのために授業はカバーされる仕組みが整備されているはずである。

 だから,自分が出張したからといって,

 子どもたちを自習にさせるわけではない。

 安心して研修に励んでほしい。

 この1年間で,他校の初任者たちと一緒に学ぶ意義は大きい。

 人によっては,同じような研修や研究をその後,ほとんど経験しないで退職を迎えることになるだろう。

 10年経験者研修も悉皆研修だが,初任者研修ほどたいへんではない。

 免許更新講習は,大学生レベルの学力があれば問題ない。

 教員採用試験よりも易しい勉強でクリアできてしまう。

 自分が教師として成長した後,

 常に「初任のころの自分を超えろ!」という意識で仕事ができるようになるほど,

 この1年間にかける研修を含めた仕事の質・量は大きなものになるはずである。

 私は20年たっても,初任者のときを超える量の研究・研修はできていない。

 量の減少を質の向上でごまかそうという気はない。

 1日は,24時間もある。
 


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より