4個でも13個に勝れる理由が分からない人
どうかしてしまったのだろうか。そういう文章を書いている人を,ご本人はナント呼んでおられたか,過去の記事をご覧になっていただきたい。
「箱庭」はすてきな日本の文化である。
「箱庭」に失礼だ。
とてもとても貧弱な「知能モデル」が示されている。
こういう人の「知識」観は,単なる「記憶」の個数が問題であり,授業モデルで言っても最低レベルの「知識」観である。
授業では,「とにかくたくさん覚えろ」というのが決まり文句なのであろう。
勉強を苦手とする子どもをけなすときは,
「頭の中身が少ない」と言うのだろう。
もし記憶量だけを増やせば学力がつくのなら,教師に専門性はいっさい必要ない。
教科書だけあれば,教育は成立してしまう。
4択問題ばかりをやらせておけばよい,ということになってしまう。
こういう発想を,
「独房型」と呼ぶことにしよう。
本当に息が詰まるような教育観である。
「開放型」の教育観では,
4個は,15個になる。
この計算ができるだろうか。
ただの13個を容易に上回れるのである。
この人に,「つながる」とか「深まる」という学力観は存在しないのだろうか。
そう,断片的な知識のままで,それを臨機応変に組み合わせて使うことができない人が,
人とトラブルを起こすのである。
記憶型のテストはやたらと点がとれるが,社会性がない,人間関係をつくり能力がない人は,
「つながり」「関係性」「類推」を意識した行動がとれないので,
教師なら,対教師と,そして,子どもとの間で,トラブルを起こしてしまうのである。
単なる気まぐれで書いたのだろうが,なぜ13個にしたのだろう。
16個だったら,また別の方法を考えなければならなかった。
最後に,教師をやめて新聞社に転職した人は,
きっと教育への情熱を失っていた人なんでしょうね。
または,本当にお金がほしかったんでしょう。
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