ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« もし保護者が「自宅に来てほしい」と要望してきたら? | トップページ | 勝手な定義と勝手な解釈をする教師に教育はつとまらない »

「悪口」と「批判」の区別がつかない人たち

 教育の世界には独特な部分があり,

 一般の方々には「こいつ,わかってないな・・・」と思えてしまう文章がどんなものか,つかみにくいでしょうが,

 落ち着いて自分が生徒のころを振り返ってみれば,

 そういう人,教師にはたくさんいませんでしたか?

 本当に口先だけなら偉そうなことをいくらでも話せそうな教師,実際に話している教師が,

 まともな指導ができない。

 独り言をしゃべっているだけなら立派に見えるが,

 「対話」になってしまうと,

 「そういう表現はいかがなものか」というものを連発してしまう。

 対人関係能力がダメなんですね。
 
 私は指導主事という「憎まれる」役柄をしていたので,

 学力は高そうだけど,対人関係が苦手な教師にたくさん出会ってきました。

 私のような立場の人間を相手にすると,その

 「苦手さ加減」が際立ってしまうのです。

 こういう人は,頭はいいのに,

 子どもと話ができない。

 子どもの心が読み取れない。

 ・・・つまり,早い話が,

 「もっとほかの仕事をした方がいろんな人のためになりそうなのに」

 という教師に見える。

 教師には,教師たちが使う,独特な言葉があります。

 一般的な小学生の保護者なら,使うことがない言葉。

 みじめなもんです。

 この村は,何のために存在しているのでしょう。

 学校現場が,問題の隠蔽体質をもっていることは,

 いじめの問題でもはっきりしました。

 行政もそうです。

 観点別学習状況の評価に信頼性がないことは,

 多くの人が気づいているのです。

 やっと,それに関する大学の先生の調査結果にふれることができました。

 「ちゃんとやっていることにする」

 としらをきるのはやめて,こうやって問題を「見える化」してほしいと思います。

 教師を辞めた人も,

 辞める前は気づかなかった問題が,

 いったいどのようなものだったのか,本質的な部分への洞察が可能になるかもしれません。

 陰で「悪口」を言っていても仕方がないのです。

 堂々と建設的な「批判」できる「国家の形成者」たることが,

 残された課題でしょう。


ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村 教育ブログへにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ

« もし保護者が「自宅に来てほしい」と要望してきたら? | トップページ | 勝手な定義と勝手な解釈をする教師に教育はつとまらない »

教育」カテゴリの記事

ブログネタ」カテゴリの記事

教職教育」カテゴリの記事

教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「悪口」と「批判」の区別がつかない人たち:

« もし保護者が「自宅に来てほしい」と要望してきたら? | トップページ | 勝手な定義と勝手な解釈をする教師に教育はつとまらない »

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より