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もし保護者が「自宅に来てほしい」と要望してきたら?

 担任をしている子どもの保護者から,

 「相談したいことがあるので,自宅に来てほしい」と要望されたら,

 まず,

 「学校においでいただくことは可能でしょうか」

 と聞きましょう。

 「自宅でしか相談できません」

 「どうしても自宅で相談したいのですが」

 と言われたら,

 「なぜか」を問いただすことはせずに,

 即答を避け,必ず学年主任や管理職と相談してください。

 同じような要望が多すぎると,対応することが不可能になり,

 「どうしてあっちは訪問してこっちは来ないのか」

 などと問題になる場合があるので,

 勝手に判断してはいけません。

 公的な用事で家庭に訪問するときは,

 必ず管理職にことわってください。

 「出張扱い」とはならないと思いますが,

 「単独行動」はいけません。

 
 訪問することが決まったら,

 訪問日時を保護者と相談の上,

 保護者の側に断る必要はありませんので,

 学年主任か,同じ学年の教師と一緒に

 家庭訪問をしてください。

 「なぜ担任だけでないのか」と聞かれたら,

 「この学校では,すべての教師がすべての子どもとご家庭のことに責任をもつので」

 ということにしてください。

 もし,「担任だけでないとだめ」

 ということなら,もう一人の教師は,話し合いが終わるまで,

 家の外で待機して下さい。

 話が終わったら,その結果を,必ず学校に戻り,

 学年主任や管理職に報告してください。

 

 女性の先生が,父親=一人親から

 要望された場合は,

 絶対に複数で家庭訪問するようにしてください。

 
 繰り返しになりますが,単独行動は絶対にしてはいけません。


 教師は,個人営業している業者ではないのです。

 
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コメント

小2の保護者様は,

小2のお子さんのお兄さんかお姉さんをお持ちですか?

正念場は,だいたい小3くらいからやってきます。

もちろん教師によりますが。

どうぞ,2年後か3年後にまたこちらを覗きにいらしてください。

どんな意味かおわかりになると思います。

今回のコメントには,本当に懐かしい香りがしました。

もっと有効な時間の使い方をお考えください。

小2の保護者様には,今,現実の学校で何が課題なのかを教えていただけますか?

また,「行政の飼い主教師」の定義をお願いします。

行政というか,法令の趣旨に従って指導ができている教師はごく少数です。

ある意味,全然「飼い主」の期待にも,保護者の期待にも,子どもの期待にも応えてくれない教師が多いのです。

それは,人間,限界があるから仕方がない,という面もありますが,

一番問題なのは,

本当に何をすべきかが分かっていない教師です。

実際の問題に則してお答えしますので,どうぞ問題をお寄せください。

子供逹にとっては、学校こそが現実なんですよ。それ以外の現実を知らない訳ですから。国の批判や教師の批判、他の方のblogの批判をする前にちゃんと子供の未来を考えてください。行政の、飼い犬教師には期待しません。なにもできないでしょうから。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より