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卑怯者の決まり文句

 人質をとって様々な要求を突き付ける犯罪者を

 私たちは「卑怯者」と呼びます。

 「命とカネとどっちが大事か」なんて

 選択を迫る人間は,「卑怯者」です。

 道徳の授業では,ときに教師がそういう「卑怯者」と同じになることがあります。

 「それと命とどっちが大事か?」

 ・・・・・

 子どもたちでも,「命は何よりも大切」という認識をもっていますが,

 いきなり「命」と比べられても困るようなものがあります。

 自分が反対したいものをこの「何」にあてはめて子どもを納得させようとする人間が教師にもいるのです。

 道徳の授業で

 「活発な議論」を呼び起こさせようとする教師は,

 いわゆる「ジレンマ教材」を使うのですが,

 やってはいけないのが「命とそれとどっちが大事か?」

 という問いです。

 なぜこの問いをしてはいけないか,

 それがよく分からない人がいるようです。

 自分が言いたいことは,

 「○○をなくしたい」・・・・

 それに尽きる,というだけの話なのです。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より