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新卒をなめるな!

 疲れて家に帰ってきて,相変わらずのダメ記事を読むのはつらい。

 けれども,教師になる人間の質はそこまで低くはないということを証明しておかなければならない。

 今,新卒の教師が増える中,

 子どもの学力低下以上に

 教師の指導力低下が問題になっている。

 しかし,実はこれは今に始まったことではない。

 今は昔よりも少ない時間数で多くの成果を求められている分,

 より高度な指導力が教師に求められていることを忘れてはならない。

 むしろ,

 役に立たない「物語」ばかりを読んで

 幻想にひたっている古い教師よりも,

 今の新卒の教師の方が,

 学習指導に関してはよく勉強している。

 古い教師の中には,

 学習指導要領の「解説」を知らない人間がいるらしい。

 それが「先輩」という登場人物である。

 昔は「指導書」という時代もあったが,

 教科書会社が出している教科書の「指導書」とは別に,

 文部科学省が「大綱的な基準である学習指導要領の記述の意味や解釈などの詳細について説明するため」に作成しているのが「学習指導要領解説」である。

 教員採用試験に合格するためには,この「解説」を読んで教科だけでなく道徳や総合的な学習の時間,特別活動の内容や指導上の留意点を知っておかなくてはならない。

 学習指導要領はあくまでも「大綱」だが,

 大きな道筋は「解説」に示されている。

 昔も今も,「解説」を読まずに,教科書の「指導書」や市販の「指南書」を読んで授業をしている教師はいるだろう。

 しかし,本当に学習指導要領に示された趣旨を実現させようと思えば,解説を読まなければ先に進めないのが本物の教師である。

 昔はまともな議論すらなかった「学力」が,今や法律でも示される「力」として私たちの目の前にある。

 「学力」をただ漠然として自らの定義もろくにできない人間が,

 あたふたするのは無理もない。

 新卒を悩ませるのは,そんなことではない。

 学習指導要領に示された内容をきちんと実現するための授業をすることと,

 入試で得点がとれるようにする授業との両立で苦しむのである。

 入試で得点がとれるようにする学習指導は,難しいものではない。

 難しいのは,学習指導要領に示された目標を実現させることである。

 入試で「中世の日本の全体像を図で示せ」なんて問題は絶対に出されない。

 しかし,授業ではそれを求めることができる。

 それをしなければならないかどうかは,指導者の感性による。

 私の場合は,本当に時代像を理解しているかどうかを確かめるには,

 自分が図解することだけでなく,他の生徒がつくった図解をもとに語らせることが効果的だと考えているから,そういう実践を行っている(そういう実践は別の村の話だから,ブログも別に示してある)。

 もしあなたが新卒の教師なら,

 先輩がつくった年間計画と指導の重点,評価基準表,定期考査の問題を見せてもらうのが一番である。

 それで頼れる先輩かどうかはすぐに分かる。

 飲み友達をつくりたいだけなら,

 だれでもいい。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より