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せめて自分がいた学校の教育課程くらい読め!

 質問に答えないくせに,

 質問ばかりなげかける。

 第四権力のマスコミのような記事を書いている人がいる。

 ずばり一言。

 自分が働いていた学校の教育課程を読んだことがあるのか?

 教務主任や管理職じゃない人間は,そんなものに縁はないのか?

 おおげさに言えば,

 教育課程は

 その学校の憲法のようなものである。

 自分たちを強く拘束しなければならないはずのものなのに,

 それを実行しこう,目標を実現するために努力しよう,

 という「意図」が見えない教師たちがいる。

 学力向上の意味が分からない?

 寝ぼけを覚ます人がいないのは本当に気の毒であるが,

 古いレコードの針がとんでいるような記事はもうおしまいにできないものか。

 これは,おおげさな話ではない。

 どの学校にも,教育課程を言えない教員はいる。

 私も決してえらそうなことは言えない。

 暗記はしていなかった。

 ただ,「重点」がどこにどのようにおかれているかくらいは知っていた。

 どの学校も,

 学力向上やいじめの根絶などのための指導には重点がおかれているはずである。

 自分はそこにどのようにかかわっているのか。

 言語活動の充実という「手段」によって,

 基礎的・基本的な知識・技能を確実に習得させて,これらを活用して課題を解決するために必要な思考力,判断力,表現力その他の能力をはぐくむのだ。

 探究活動の質的充実が総合的な学習の時間に図ることができている学校全体の「指導力」は非常に高い。

 知りたければ聞けばよい。

 公開授業を見ればよい。

 問題は,そこからまた発見できる。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より