難しく考え,多くを求めすぎる人たち
完璧を求めようとするのは,心と体の調子をくずすもととなる。
さて,私にはとても信じられない光景だったが,
ある研究会で,中心になっていた先生の言葉を,まるで教祖の御神託をうかがうように聞いている教師たちがいた。
この人たちには,まともな教育はできないだろうと直観した。
そんな態度では,創造力は身につかない。
自分の頭で考えることをやめたとき,そこは「教育」の場ではなくなる。
そこは違うのではないか?という意見表明ができることが,子どもにとっても,成長への第一歩となる。
しかし,日本には,面と向かって反対意見を述べることを,美徳としない文化がある。
匿名のブログは,そうした文化を守りつつ,意見を表明することができる,便利な空間である。
残念ながら,受け手が意識していないと,コミュニケーションは成立しないのではあるが。
教育ブログには,自分勝手な日記のようなものや,人が読んで参考になるようなものなど,さまざまである。
「もっとこういう記事を書いてほしい」なんて要望されるとしたら,それは幸せなことである。
ただ,そういう関係は,リアルの世界で築いていけばよい。
リアルの世界で,私がこのブログのような話ができる人たちは,
ごくごくわずかである。
10倍ぐらいに薄めた話なら,多くの先生に聞いてもらっているが。
私が選択しているのは,匿名の世界である。
私のようなブログを読んで,何かを考える人というのは,ごくごくわずかかもしれない。
納得できる部分があり,共感しながら読んで下さる方もいれば,
反発しながらも,わざわざ反論を書くのも面倒くさい,という方もいるだろう。
あまり他の人にはない私の教育へのスタンスというのは,
大きな感謝と同時に,
児童生徒の時から,教育に不満を抱いていたということ,
教師になって,教育のあり方に不満を抱いていたということ,
教育行政に入って,も同様。
子どもたちを学校に通わせ,保護者になっても,同様・・・・
と,様々な角度からの不満を中心にすえている。
完璧を求めているわけではない。
勘違いの方向への努力と,
間違ったことを実行しないだけでも,
教育は格段によくなると信じている。
しかし残念ながら,
観点別学習状況の評価だったり,
手抜き用の「学び合い」だったり,
失敗を失敗と認めない世界が,教育の場にはたくさんある。
創造の意義は,だれかが模範を示して,みんながそれにならう,という筋のものではない。
創造するのは,みんなである。
教育実践を行っていく上で,奇をてらったり,独自性を発揮しようと頑張っている人たちは,
自分の努力に満足できるかもしれない。
自分が教育のことを,子どものことを,これだけ考えてやっているんだ,
という熱意をもっていることに,満足しているかもしれない。
しかし,子どもがどのような学習成果を残しているか,それがどう次につながっているかを見ることなしに,
つまり「ふり返り」をすることなしに,「こうすればいい」なんて言ってはいけない。
唯一,言えることは,とりあえず,
学習指導要領の解説を読んで,できることを実行する。
何も難しく考える必要はない。
工夫できるところを工夫する。
当たり前のことを当たり前にできることが,創造の前提である。
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