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人の「間違い」を嬉しがるあさましき人間の姿

 相手が間違うと,

 喜び勇んで「頭がおかしい」とコメントに書き込んでいるブログがある。

 こんな教師に教えられたら,

 子どもは「間違い」を本当に怖がるようになるだろう。

 調布市の小2の担任が,どういう授業をしていたか,

 何だか目に浮かぶようだ。

 そういう授業を自分も受けたことがあるから。

 以前も書いたことがあるが,

 「人間の体はいくつに分かれているか」と理科の時間に聞かれて,

 私が「分かれていない」と答えると,

 その教師は私の首をつかんで,教卓の前で全員の方を向かせ,

 「ここで分かれているだろう」

 と怒りの説明をした。

 私は内心で,「それでも首と胴体は分かれていない」と主張していたのだ。

 「節足動物と哺乳類を一緒にするな!」という気持ちだったのだろう。

 
>相当に、読解力のレベルが低い。

>おかしいのは→頭がおかしい


 元教師のこのブロガーは,これでも何と「理想の教師」とか「教師の品格」なんて

記事を書いている。そういう教師の感化を受けることはできなかったようだ。

 
>誰か妄想??

>アスペルガー ?

 コメントを寄せた人に,こんな言葉を投げかけられるブロガーが,この村にはいるのだ。

 ここまで狙い通りの反応をしてくれるとは思わなかったが,

 こういう反応をする人間が,「間違いを認めたくない」という気持ちを人に起こさせる原因の一つになっていることは,ほんのかけらも感じることができないのだろう。

 一流の人でも間違えることがある,

 ということと,

 間違いを認めようとしない人がいる,

 ということとは,全く「別の話」である。

 それがどうも理解できないらしい。
 

 間違いを素直に認めない子どもに,「一流選手だって間違ってパスをすることがあるんだから,君も間違ったパスをしたら,それを認めて謝らないとだめだよ」なっていっても,意味がないことくらい子どもを育てたことがある人間ならわかるだろう。

 ましてや,プライドの高い人間に,

 「一流の人でも間違うのだから」

 なんて言っても何のなぐさめにも,説得にもならないことは言うまでもなかろう。

 いずれにせよ,自分の誤りに気づかない限り,謝りようがない。

 それが「困った教師」の最大の特徴であることは,すでに述べた。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より