偉そうなことをタイトルで書いていますが,
教師になった人は,大学時代の「教育原理」の単位を取得するとき,必ず聞かされる話ですね。
質問によって,
子どもの能力,資質,興味,分析力,熱意,などなどを「引き出す」ことを,
楽しめるのが教師という職業です。
今回は,別に「楽しむ」ために質問したわけではありませんが・・・。
残念ながら,
お二人のご指摘は,あまり「失敗の本質」にせまれていませんでした。
私がお聞きしていたのは,「評価」の「失敗」ではなく,
「実践」に隠された「失敗の本質」です。
今回ご紹介した「評価」は,
初めて中学校に来て,「イベント」に参加していただいた,「地域の方」のものです。
しかも,「評価」といっても,「ご感想をどうぞ」なんていう気軽なものでした。
私たちの指導のねらいや,学習の経過は,簡単に説明させていただいていたのですが,
詳しいことは生徒たちと話をして初めてわかるようなことでした。
ですから,
まずは「評価の仕方が悪い」というのは,筋違いということになります。
次に,「授業が見えてこない」のは,それはおっしゃる通りで,
この評価だけから見える「失敗の本質」を問うているわけなので,
「授業が見えない」原因は,ただ私の説明不足にある,ということになるでしょう。
今回の事例における総合的な学習の時間の年間の活動は,200人程度の全校生徒が,「理想のまちづくり」を大テーマに,環境や人権,交通などの個人テーマをもって1年間研究し,集録としてまとめたのですが,
その研究の内容を,「国際的視野」をもってとらえなおし,説明したり,異なるテーマの生徒の発表を聞いたり,質疑応答を行ったり,「問題」になっていることを議論したりする,という2時間の活動でした。
小さなテーマごとに「担当の先生」を決め,教師1人で最大でも20人程度までの生徒を指導するというものでしたが,縦割りで集団ができるので,事例の時間に至るまで,下級生は上級生に教えてもらう場面もありました。
2時間のねらいは,
自分たちが住んでいるまちを,中学生を含む地域の人々によってより暮らしやすくする,
そのために,何ができるか,どんなことを知ることが大切か,何が課題になっているか,
地域の人々はどう考えているのか,これらをポスターセッションやパネルディスカッションで
探っていく,というものでした。
ポスターセッションでは全校生徒が全員,時間をずらして発表し,質疑応答も行うので,
より「聞き手」の生徒や地域の人々が多い方がいいだろう,ということで,
「人集め」をがんばりました。
日本語がまだあまり得意でない外国人の方とのやり取りは,
出身が東アジア,東南アジア,南米と英語圏ではないために,
生徒も苦労する場面がありましたが,一生懸命お互い理解し合おうと,
身振り手振りでがんばっていました。
通訳の方も数人見えたので,相手の方の国のお話など,興味深く聞き入っていた生徒もいました。
保護者の方も参加されましたが,「授業参観」とは異なり,ご自分も議論に参加して意見を言わなければならないので,出席率は3割程度だったでしょうか。
行政の方にも参加していただいて,生徒と地域の方がいっしょに練ったアイデアを提示する,といった場面もありました。
他校の先生にも参加していただきました。
その学校の教師たちも,議論に加わったことは,言うまでもありません。
「学び方を学ぶ」総合的な学習の時間の中では,一つのイベント的な行事にもなりましたが,各自の学習の総括へ向けてのよい刺激剤にもなりました。
これで,学習の実態はだいたいお分かりいただけましたでしょうか。
さて,この実践から分かる「失敗の本質」とは何でしょう?
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(追記)
生徒は,地域のことを調べる上で,行政を含めて地域の方々にインタビューなどを行っている。そして,1年契約の「サポーター」となってくれる方を生徒がそれぞれ何人かもっており,生徒からの案内で,この方々もお招きしたことを追記しておく。残念ながら,授業時間中の実施であるので,当日参加できた方はそれほど多くはなかった。
学習後,「研究集録」や「活動の振り返り」などは,このサポーターの方々にお渡しし,その場で1年間の学習の報告を行わせている。
蛇足ながら,こうした学習の成果は,役所で実施された「まちづくりのシンポジウム」でも生徒会役員が発表した。中学生が大人顔負けの主張をしていたので,興味をもたれた他の地域の方々ともつながりをもつことができた。
人集めのことはこの記事でふれたのであり,そこには「失敗の本質」は含まれていない。
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(さらに追記)
実践を紹介した学校での「総合的な学習の時間」には,きちんと名前がついている。
それは,自分の将来を見つめ,生き方を考えようという意味である。
卒業後,10年たったら,タイプカプセルを開けに学校に戻ってくる。
そこでの交流で,もう一度,中学生のころ,思い描いていた原点に戻って,
自分たちをふり返る,という活動で,ただの「クラス会」とは少し異なっている。
「地域の中の私」という観点を重視した年には,「理想のまち」というのが大テーマになった。
「まちの中で,将来,自分はどのような生き方ができるのか」は生徒全員がもっている問題意識である。
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(そしてさらに追記)
→記事にしました。




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