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道徳の教科化によってすべての教科の質が変わる

 道徳の教科化に反対する人がいるのはよくわかる。

 反対意見をかわし,この政策を成功させる秘訣は,

 新たに登場する「教科書」という重要な「教材」の質の高さと,

 全教科の指導の改善に対する全国民の願いの強さである。

 教科の授業でも,

 教科書をだらだらよんで,まとめる,なんていう質の低い授業が行われている。

 こんな授業を道徳の時間にされたらたまらない。

 荒れた学校はますます荒れるだけの話である。

 プリントが配られて,穴埋めすれば,授業に参加していることになる,

 黒板にいろいろと書かれて,それをノートに写しさえすれば,よれでよい,

 という質の低い学習指導が行われている。

 そんな「最低」な教育からの完全脱皮を,

 道徳の教科化をきっかけに「全面的に」実現させる。

 道徳という新教科は,

 答えが最初からわかっている問題を解くようなものだという印象が強いだろう。

 決してそういうものではない。

 求められるのは,口先の「答え」ではなく,「行動」である。

 その「行動」に至るまでの「過程」こそが,子どもの成長の糧になる。

 「知識として教え込みたい」

 そういう考えの大人も多いだろう。

 しかし,それは自分の胸に聞いてみればいい。

 「わかっているのにやめられない」

 ことはたくさんある。

 中学生くらいの年齢だと,

 「わかっているがあえてやらない」

 「だめだとわかっているがあえてやる」

 生徒が多いのだ。

 何をさせればよいのか。

 特別活動を充実させればよいのだ。

 各教科の中でも,同様の工夫を行う。

 子どもが「行動」できるヒントを与えてあげることだ。

 そういう実践をしているモデル校があるが,ここでは残念ながら,明かせない。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より