絶望
小学生にとって,いつも接している担任の教師は,信頼すべき大人の一人である。
子どもによっては,信頼できる唯一の存在であるかもしれない。
その教師の一言は非常に大きな意味をもつ。
ときに,その教師の一言が,子どもを絶望へと導く。
大人の側の感覚で,「そんな大げさな」と,子どもの「感じ方」を評価してはならない。
「この程度のことは,いつも言っていることで,大した問題ではない」
という教師の言い訳は,
自分を守るための言葉であって,
決して子どもを守るための言葉ではない。
小学校時代に,教師への「基本的信頼感」を喪失した子どもの指導は難しい。
固い殻に守られた,頑なな心をもつ一方,
小さな一言で容易に「折れる」状態になっている。
そういうことがよくわかっている教師の中には,
自分の方が折れてしまう人が多い。
こちらも「仕事なんだから頑張れ」なんて言葉を安易にかけることはできない。
学校という現場は,
「妥当性のある評価」によって,
「現実を直視させる場」であり続けるべきか,
それとも
「夢」を見させる場であるべきか。
私は,進学指導をする必要がない小学校教師の多くは,
「夢」派だと考えていたが,最近は違ってきているようである。
公立の中高一貫校の誕生は,
本来のねらいとは
完全に逆の効果を生み出してきているといえる。
小学生に「夢」がない学校教育を引き継ぐ
中学校の教育は困難を極める。
部活動や学校行事で何とか救っているのが現状である。
教科教育という狭い枠で研究を進める時代は終わったのかもしれない。
今,学校は子どもを「絶望」の淵へと追いやる危険性をもっていることだけは,すべての教師が認識しておきたい。
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