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質の低い「学び合い」は質の低い教員集団と同じ

 日経で「仲が良いけれど成績が悪いチーム」の改善方法を示してくれた記事があった。

>チーム内で波風が立つことを恐れる,表面的には平和主義なリーダーは,チームの成長を阻害する元凶

 という言葉に,耳が痛い人が多いだろう。

 人に嫌われたら,

 人に嫌がられたら,

 パフォーマンスが低下し,いい結果がでないだろうから,

 「いい人」を演じる・・・というリーダー。

 小学校の校長に多いタイプである。

 教育ブログでもそれが非常によくわかるタイプの記事が多い。

 「事なかれ主義」は,何も学校に限った話ではなく,

 一般企業にも多く見られる現象らしいが,

 そこからの脱出策が示されている。

 チームの成長に欠かせないものは何か。

 子どもの成長や学力向上に欠かせないものは何か。

 いくつかの大切なステップを経なければ,

 子どもも大人も成長しない。

 私が教育雑誌を批判しているのは,

 果実だけを読んでも意味はないこと,

 果実が得られるまでのステップを知ることならまだ意味があることを

 示したいからである。

 中学校の一部にもそういう面があるが,

 「見た目」にこだわるのは小学校が突出している。

 教室掲示を見れば一目瞭然である。

 「見た目にこだわる」という教師の悪癖は,

 「見た目でごまかす」という子どもの悪癖を生む。

 「わいわい楽しそうに子どもが話し合い活動をしている」のを小学校教師は喜ぶ。

 それがいかに質の低い会話でも。

 実際に,その会話の内容を知らないまま,時間が過ぎていくことも多い。

 こういう「学び方」をよしとするような教師集団に,

 真の「学び合い」は期待できない。

 研究で成功している学校の,

 「形成期」

 「混乱期」

 「標準期」

 「達成期」

 をじっくり聞いてみるといいだろう。

 3年かかって成功した学校の真似をして成功するには,

 やはり3年かかると考えるのが自然だろう。

 その時間短縮のノウハウを知るには,

 それに成功している学校をさらに探さなければならないのだ。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より