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「声がかからない」ことを嘆くことはない

 「声がかかる」

 ・・・・自分が必要とされていることが実感できることである。

 「声がかからなくなる」

 ・・・・自分は必要とされなくなったと不安になることである。

 「声がかかる」

 それだけ,「使い勝手がよい」と思われている証拠と考えることもできる。

 相手からすると,「声がかかる」ことで喜んでくれる単純な人間は,利用しやすいのだ。

 人間には,人から認められたい,という欲求が人一倍強い人がいる。

 教育ブログで語っている人間はだいたいそういう人間だと考えればよい。

 私のように,人から反感を買うようなことを書いてばかりいる人間は少数派だろう。

 私は,10年前以上前から文部科学省や国立教育政策研究所で仕事しているが,

 正直言って,もう「声をかけてほしくない」。

 子どもと遊ぶ時間が減るからである。

 教材研究の時間が減るからである。

 私は,行政から見れば,とても「便利」な存在である。

 このブログの内容を読んでいただければわかるが,

 内部には決して入れられない。

 しかし,道具としては,使える。

 義理の世界もあり,断れない。

 地方の教育委員会から,研修の講師を依頼される。

 教科書会社から,研究会の講師を依頼される。

 私的な研究会から,講師を依頼される。

 これらは,毎月のことではないので,機会があれば

 今後も「声をかけて」ほしい。
 
 「声がかからなくなる」状況は,

 目の前の子ども(自分の子どもも含めて)と向き合う時間が確保されるので,これはこれでうれしいことである。

 目の前の子どもがいなくなったとき,

 「声がかからなくなる」状況をどう思うか。

 つまり,だれかのために役に立たなくなることをどう思うか,ということである。

 それなら,ブログで役に立つと思われることを書いていればよい。

 「声をかけてくれる」人が出てくるはずである。

 いや,声はかからなくても,

 ブログで読んだことを役立ててくれればそれでよい。

 作家の人たちも,講演会に呼んでもらいたくて,小説を書いているわけではないだろう。

 読んでもらいたくて読み物を書いているのではないか。

 中には,自分が書きたいから書いているだけ,という人もいるだろうが,

 編集者が邪魔をする。

 そう,編集者のような人が近くにいない人は,

 孤独を生きる覚悟をした方がよいのかもしれない。

 たとえ「呼ばれて」そこに行ったとしても,

 自分以外の人間が行って指導したら,もっといい成果が出たはずなのに,

 と自分で後悔するのもさみしいものである。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より