ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 「なでしこ」の佐々木監督と「侍」の山本監督の違い | トップページ | S県の「異動予想」記事の滑稽さ »

中国の政府と国民を区別した後,どうする?

 中国政府がやろうとしていることは理解できない,と言っている人がいる。

 多くの日本人は,そう感じているだろう。

 それは,単にマスコミの論調がそうだからというわけではない。

 日本人の感性が「中国は理解できない」と言っている,そういう言い方が伝わらない文化の国もあるだろうが,論理を超えて,共感してしまう部分があるから,仕方がない。言葉では説明しにくい。

 「論理」が大好きな人がいるが,それは「共感」が得られない人の武器にすぎない面があることも忘れてはならないだろう。

 論理的に考えることができても,体験や共感がともなわないものは,「理解した」とは言いにくい。

 「習得された知識」とも言いにくい。

 多数の少数民族をもち,多くの国と国境を接している国の「たいへんさ」は日本人には理解しにくいだろう。

 ただ,一定の論理さえあれば,「わかる」こともある。

 日本には,中国という国がそもそもどういう国か,なぜ中国共産党が国の中心なのかがわかっていない人が多い。

 だから,こんな「見当はずれ」の言葉が語られることがある。

>尖閣諸島の問題は、中国国民の意思とは関係なく、中国共産党(幹部)の意向ではないかと思える

 ・・・・今,日本政府も,日本国民も,

 尖閣諸島の問題をどのように「問題」と考えているのか,その「理由」すらわかっていない人がいるということである。

 また,悪い癖として,国民と政府を完全に別のものに見立てて,

 「国民は悪くない,政府が悪い」

 という「論法」で納得して終わってしまっている人がいるのだ。

 仮に,将来,中国の分裂が起こるとする。

 尖閣諸島の問題はどうなっていくだろうか?

 すぐに答えられないだろう。

 結局,自分が無責任なことを言っているにすぎないことに気づかなければならない。

 ほとんど責任を持たないですむ人間を山ほど生み出してきた日本の教育。

 その成果がそこにもあった。

 
ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村 教育ブログへにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ

« 「なでしこ」の佐々木監督と「侍」の山本監督の違い | トップページ | S県の「異動予想」記事の滑稽さ »

教育」カテゴリの記事

社会科」カテゴリの記事

社会科教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事

ブログネタ」カテゴリの記事

学力向上」カテゴリの記事

教職教育」カテゴリの記事

教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 中国の政府と国民を区別した後,どうする?:

« 「なでしこ」の佐々木監督と「侍」の山本監督の違い | トップページ | S県の「異動予想」記事の滑稽さ »

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より