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謝り方を知らない人たち

 このタイトルと,どのようなニュースが結びつきますか?

 もし明日,授業があるとしたら,

 導入で使えるネタである。

 すぐにクラスメイトの個人名を挙げてくれる生徒がいる。

 小さなニュースから大きなニュースまで,

 学校現場は事件が絶えない。

 多くの事件は問題を起こした人間が「謝る」ことで

 学校の場合は「次は気をつけるように」で終われるが,

 最近は

 「謝り方を知らない」生徒が増えてきている。

 本当に,「逆ギレした方が勝ち」

 「過ちを認めなければ勝ち」

 なんていう価値観が浸透している。

 これは家庭教育や小学校教育の立派な成果とも言える。

 「謝り方を知らない」人間に,

 研究者も仲間入りした。

 ほとんど流行語になりそうな

 「言い訳」が飛び出した。

 そんな話で揶揄するだけで,

 心労のあった関係者には失礼というものだ。

 ただ,「流行」というのはおそろしい。

 「催眠術にかかっていた」

 で許されるのは可愛いいたずらくらいだろうが。

 この話は,新聞ネタ,ニュースネタになる。

 明日のワイドショーではあちこちで取り上げられることになるだろう。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より