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教室に入ったら,教師はまずどこを見る?

 授業が始まる前,教師は教室に入ったとき,まず何をするべきか?

 すべてが教師の方を向いているものがある。

 それは生徒の顔である。

 教師は,まず生徒の心と体の健康状況を確認しなければならない。

 そして,課題を発見した場合は,授業の始まりの合図の前に,

 生徒に声をかけなければならない。

 教師は何のためにその場に入ってきたのか。

 授業をするためである。

 だれを対象に?

 その学級の生徒である。

 生徒のためにその場にやってきたのだ。

 しかし,生徒から見て,

 「私たちのためにやってきてくれた」

 と思えないような教師がいる。

 こういう教師の50分のスタートは,

 「まためんどうくさい50分のはじまり」と思っていることが伝わってしまうのである。

 50分のスタートは,

 まず「挨拶」から始まる。

 その「挨拶」の前に,体調の悪い生徒,元気のない生徒が放置されてしまうのは,

 「挨拶」がただの形式にすぎないことを強調していることになってしまう。

 教室で,まだ席についていない生徒を席につかせるより先に,

 全員の顔を見ることである。

 目が合うかどうかで,その教師が生徒にどう思われているかがわかる。

 教師がどういうスタンスで仕事を始めてくれるかが生徒に伝わったら,

 生徒は教師を見てくれる。

 だまっていても,席についてくれる。

 日本では,無言の挨拶も重要である。

 挨拶は,教室にはいったときから,「はじまっている」。
 
 それは,授業の「はじまり」でもある。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より