ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 子どもの学力向上に責任を持たない人間の典型 | トップページ | 道徳の授業の原動力は感動? »

評価というとすぐテストを思い浮かべる人へ

 私の似たような記事を書き始めた人がいるので,

 その人との違いを明確にしておこう。


 教師たちは管理職から評価をされる。

 当たり前だが,この評価を行うときにペーパーテストはしない。

 では,何をもとにして評価をするのか。

 どんな実績が評価対象になるのか。

 それは年度の初めに,管理職との面談ではっきりさせている。

 評価というのは,このように

 評価する側と評価される側の相互理解があると,

 評価のための評価にならなくてすむ。

 

 道徳の研究校になった。

 研究のねらいは何か。

 道徳で気づかせたい価値は多岐にわたる。

 主として自分自身に関すること

 主として他の人とのかかわりに関すること

 主として自然や崇高なものとのかかわりに関すること

 主として集団や社会とのかかわりに関すること

 道徳は,学校におけるすべての教育活動とかかわりがある。

 各教科と道徳,総合的な学習の時間と道徳,特別活動と道徳の関連も

 明確にした上で,研究は行わなければならない。

 こういう手続きの経験がない人間は,研究校の話をしてはならない。

 自分で研究しない人間が本を読んでその成果や課題を語ることに意味はない。

 どんな柱を立てるにしても,

 当然のことだが,

 1年や2年で成果を出すのは難しい。

 荒れた学校を立て直すのも,最低でも3年はかかる。

 最も大切なのは,

 教師の意識である。

 それが変わるのに3年かかるということだ。

 ただ,1日で変わるものもある。

 それは,

 評価や成績と聞くとすぐに

 ペーパーテストを思い浮かべてしまう,

 教育への無知である。

 これを恥と感じ,

 学び直す。

 せっかくの本の表紙を掲げても,

 その中身に全くふれない,

 中身に書かれている大事なことが,

 理解できていないまま,

 ただ紹介している。

 こういう人間が学校にいると,

 研究校での研究の実態がどうなるか,

 それだけは非常にわかりやすい記事がある。

 こういう学校をどうにかしなければならないが,

 研究発表の内容にケチをつける文化が

 今の学校にはない。

 このままでは,公立学校で

 何も学べない教師たちが再生産されてしまう。

 まず,

 子どもの評価とは,何のために行うのか。

 これは,自分の評価はだれがどのようにしてくれるのが

 うれしいか,考えてみてほしい。

 褒められないとやる気が出ない小学生のような

 大人が増えている理由を,小学校の教師は早く気づいてほしい。

評価は,いつ行うか。

 子どもを前にしているときは,常に行っているものである。

 

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村 教育ブログへにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ

« 子どもの学力向上に責任を持たない人間の典型 | トップページ | 道徳の授業の原動力は感動? »

教育」カテゴリの記事

学習指導要領」カテゴリの記事

教育改革」カテゴリの記事

学習の評価」カテゴリの記事

ブログネタ」カテゴリの記事

教職教育」カテゴリの記事

教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事

道徳」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 評価というとすぐテストを思い浮かべる人へ:

« 子どもの学力向上に責任を持たない人間の典型 | トップページ | 道徳の授業の原動力は感動? »

2019年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より