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子どもの学力向上に責任を持たない人間の典型

 一昔前は,組織率90%を誇っていた人たちが

 口をそろえて言っていたことがある。

>人を上中下のように区分けしないで、先入観を持たず、一人一人を尊重するという姿勢を大切にしています。

 こういう人間たちが,「東大」にはめっぽう弱い。

 なぜ「東大」の話だけ特別に行うのか。

 だれに聞くまでもあるまい。

 「東大」は,「その筋」だからでもあろうが。

 さて,「先入観」は持ってはいけないが,

 どの児童生徒が,学習に入る前の段階で,

 どのような学習状況であったかはすべての教師が知っているはずである。

 これは「先入観」ではなく,適切な児童生徒観である。

 授業が始まる前は,それぞれの学習状況の違いを踏まえて,一人一人を尊重する姿勢で指導に当たらなければならない。

 授業が終わった後も,同様である。

 授業の過程でも,何をすべきかを常に考えていなければならない。

 学力や学習状況は,「みんな同じ」ではなく,「みんな違う」のである。

 何をすべきか,その答えが何もなかった。

 その実践がなかった。

 「一斉指導には波及効果がある」なんて話でお茶を濁している人間もいる。

 ただの偶然の話をしてみても,何も始まらない。

 わざわざ「特別なことはしていない」なんて断っている元教師もいる。

 それでは,何のためのブログかわからない。

 「具体的な指導法」を書くつもりもなく,ただ自慢しないと気が済まない

 この書き手のブログは本当に役に立たない代物である。


 いかにして手が抜けるか,

 手抜きをいかにして「それらしい仕事」に見せかけるか。

 「学び合い」という名の「手抜き」はあちこちで行われている。

 そういう地域がどこかが,今,明らかにされている。

 さて,組織率は30%となり,もうその団体のせいにはできない。

 子どもの可能性を奪ってきたのは,団体の人間ではなく,

 そういう考え方の人間たちである。
 
 この手の人間たちが好きな言葉がある。

 「授業に感動を」

 ・・・・これは,自己満足を得たい大人の,しかもかなり年を重ねた終わりの近い大人の感性である。

小学校の教師たちは,「見た目」「演出」にこだわる。

 子どもたちが「感動」を糧に力をつけるのならまだしも,

 「感動」それ自体が目的になった授業をたくさん見てきた。

 子どもたちは,「感動」を得たい教師たちによって「見世物」にされただけである。

 子どもたちは,教師の自己満足のための道具として扱われている。

 それに気づいた小学生が,どういう仕打ちを担任教師から受けるかは,

 いくらでも実例を挙げることができる。

 多くの子どもたちは,中学校2年生くらいになると,

 ようやく「気づく」ときがくる。

 「失われた時間」は元には戻らない。

 算数ができない子どもたちは,

 中学校に上がってから,高校に進学すると

 6年間,苦しい思いをすることになる。

 以前に,算数ができない大学生が話題になったが,

 どこのだれが責任放棄していたかは明白である。

 できないままで「何となく過ごす」ことがいかに危険なことか,

 どこに問題があったか,

 本人が気づいてからでは遅いのだ。

 責任感のない大人たちの典型としての教師が,

 いたるところにいる。

 それを応援している「原型」の人間も,あちこちにいる。

 今,「感動」では生きていけない時代になった。

 子どもたちが,懐古主義の大人たちによって蝕まれている。

 せめてもの救いは,小学校で,若返りが進んでいることである。

 もはや無責任の塊のような原理主義者たちの出る幕はない。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より