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日本人の中国像の「つくり手」

 日本には日本なりの「中国像」の「つくり手」がいる。

 中国には中国なりの「日本像」の「つくり手」がいる。

 双方にはメリットがある。
 
 それはお互いに「批判対象」がいるということである。

 これが,一方通行だと,「いじめ」になる。

 バランスがとれていると,

 一面的にみると「いじめ」だが,

 全体としては「いじめ」ではない。

 あとはどれだけ「叫ぶ」か,どれだけ「つぶやく」かによる。

 中国での勤務が長い人からの話を聞くと,

 とても新鮮な「中国像」が手に入る。

 残念ながらそういう情報が手に入らない人たちは,

 日本側も中国側も,

 何十年も同じことを繰り返しているだけである。

 いつかどこかで,

 「化石」になっている教師という話を読んだ。

 そういうことを書いている人間がまさに

 「化石」そのものの記事を公開している。

 「化石」ならまだよいが,「日本国憲法」と中国の憲法の違いがよくわかっていないらしい。

 だからブラックホールみたいな教育論になってしまう。

 国の違いは,憲法を読み比べてみれば簡単にわかる。

 しかし,国民の実態は,実体験をもった複数の人から教わるしかない。

 日本人には,変化のスピードというものがもう記憶の彼方へと消し飛んでいる。

 中国の人々は,変化のスピードを今,体感している。

 日本は時代に取り残されようとしている。

 実際に,取り残されたことを知らずに去っていく人たちは,

 幸せなのかもしれない。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より