ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 道徳の教科化によってすべての教科の質が変わる | トップページ | 授業観のない人たち »

感心しない人

 三面鏡を使うと,はるか遠くにも自分の顔が写っている。

 この教育ブログ村には,

 こういう鏡に自分がたくさん映っているのに気づかない人がいる。

 学校という職場に限らず,

 社会に出るとトラブルメーカーというのが必ずいるが,

 その典型を自らさらしてくれる人がいるので,

 とても参考になる。

 トラブルメーカーなりのリーダーシップとでも呼んだらいいのか。

使ってはいけない言葉を,

 使わなくては気がすまない。

 困ったお方である。

 自分が「感心しない人」と羅列している内容のほとんどは,

 自分自身にあてはまっていることである。

 以前には自分自身が演奏している姿を(匿名のブログなのに)掲載していたが,

 こういう芸当ができるブロガーはすごい。

 芸能人レベルである。

 もはや匿名で書く必要はないだろう。

項目の一つは,非道徳を絵に描いたようなもので,

 書き手自身がすでに「感心しない人」を通り越して「ダメな人」である。
 

 学校現場でこういう教師は,絶対につぶれることはない。

 本当にたくましい存在である。

 自分自身の問題に全く気付かない人に初めて出会うと,最初は面食らうだろう。

 しかし,教員を長くやっていると,
 
 「そういう人だからこそやっていける職業」なのだなと思うときがくる。

 ただ,「そういう人」には決してなりたくない,

 と思うのがふつうの人間である。

 そして,悩んだり苦しんだりする。

 ある意味では,

 何の責任も感じないで生きていられる教師を見ると,

 安心できる。

 人は,自分がつぶれるのを見たくはないが,

 教師になろうとするような人間の多くは,

 他人がつぶれるのを見たくない「やさしさ」を持っている。

 何も持っていない人間が,

 実は最強なのだ,ということに気づく。

 そして,一度はすべてを捨ててみるか,という気にもさせてくれる。

 「感心しない人」に感心してしまう。

 そういうゆとりが現場にもほしいものだ。

 ただ,そういう人の尻拭いをする仕事は,最高につらいものだが。


ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村 教育ブログへにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ

« 道徳の教科化によってすべての教科の質が変わる | トップページ | 授業観のない人たち »

教育」カテゴリの記事

リーダーシップ」カテゴリの記事

ブログネタ」カテゴリの記事

言語活動の充実」カテゴリの記事

教職教育」カテゴリの記事

教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 感心しない人:

« 道徳の教科化によってすべての教科の質が変わる | トップページ | 授業観のない人たち »

2019年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より