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道徳の授業にうんざりしてきた子どもの声に耳を傾けるべき時

 道徳の授業にうんざりしている子どもの声を,教師に届けることは難しい。

 教師の多くも,建前的な道徳の授業には乗り気ではない。

 しかし,教科の授業以外のために教材開発をするほど余裕がない。

 だから,手抜きをして,ありきたりの市販の教材でお茶を濁すしかない。

 道徳教育は充実させることはできるが,

 道徳の授業を充実させることは困難を極める。

 一番笑えないのが,「道徳の研究校」の実態である。

 ここではそこを追及するのはやめよう。

 なぜ子どもは,道徳の授業が嫌いなのか。

 評価がないから,動機づけにならない,という生徒もいるだろう。
 
 しかし,一番大きな原因は,教師が道徳の授業が好きではないからである。

 道徳の授業が大好き,という教師の,教科指導をみてみたい。

 そこに道徳の指導で培った成果が表れているのなら,すばらしいかもしれない。

 しかし,えてしてこういう教師の場合,教師が頑張っている一方で

 子どもはしらけていることが多い。

 思わずそういう教師たちの顔が思い浮かんでしまうほど,

 教師というのは自分に酔っている人が多いのだ。

 だからやっていける,という部分はなくもない。

 しかし,子どもから白い目で見られる教師を見るのもつらいものである。

 「裸の王様」は本当に気の毒でならない。

 子どもの素直な言葉を聞き出せる教師でありたい。

 小学校の先生方が今,気の毒でならないが,

 子どもの成長にとっての,「いい踏み台になった」と割り切ってもらうしかない。

 道徳教育に力を入れたければ,

 道徳の授業よりも力を入れるべき時間がある。

 それは,特別活動の時間である。

 中学校には,生徒会活動というものがある。

 多くの学校行事がある。

 これらの充実にしっかりと時間が使えるようになれば,

 学校は変われる。

 子どもは変わる。

 一番のネックは,教師である。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より