日本の大学は中国と同じだった
大学の改革のリーダーシップ?を行政がとる。
日本だけではなく,中国でも同じだということを
加藤嘉一著『脱・中国論』(日経BP社)で知った。
「大学がお役所的な空間と化している」
・・・・日本の大学につとめている方々は思わず
うなってしまうであろう「共通点」であろう。
中国の大学のカリキュラムには,
「毛沢東思想」「鄧小平概論」「マルクス・レーニン主義」
という「政治課」の必須科目があるそうだ。
これを「共産党当局による学生の洗脳の手段」とみる人もいるだろうが,
単位をとらなければ卒業できないわけだから,
とにもかくにも「学ぶ」わけである。
「学ぶ」ことで,「分かる」こともあるだろう。
日本の子どもたちに道徳を学んでほしくない教師は多い。
なぜなら,教師が道徳的でないことが分かってしまうからだ。
とにかく「学ぶ」ことには意義がある。
日本の学生は,本当に「学んで」いるのだろうか。
40代,50代の人たちまでか。
「大学で勉強した記憶はない」なんて堂々と言えるのは。
中国の大学の学生は,
「世界で通用する人間になる」ことへの情熱にあふれている。
英語をバリバリ勉強する。
こういう話を聞くと,
文部科学省の人が焦るのだ。
国会などで指摘されることは目に見えている。
「何をしているのか」と追及される。
だから,余計なことをいろいろと考えてしまう。
しかし,やればやるほど「意欲」が失われる・・・・というジレンマを
解消する方策を考えだした人は,
歴史に名を残せるかもしれない。
残念ながら,そういう人は,決して多くない。
日本の場合,こわい話だが,
次へのステップを可能にしてくれたのは,
大きな「国難」であった。
リーダーがでる,というより,
国民全体で乗り切ってきた。
これが日本の強みである。
国民全体を動かせる
リーダーが生まれると,なおよい,
と手放しで望むことに危機感を覚えるという
慎重さがあることも日本の強みである。
この「強いのか弱いのか分からない」
のが日本の強みだ,
などと書いていられるのもそう長くはない
という危機感も持っておきたいところである。




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