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あなたはどのようなマニュアルがほしいか? ~AかBかしかない人間の発想~

 マニュアルは,どの人間でもそこに指示された手順の通りに実行すれば,誤りなく目的が達成できるようにするためのものである。

 だから,全国で1位をとるためのマニュアルというのは存在しない。

 しかし,全国で1位をとった学校が,どういう指導をしてきたか,という「実践記録」はつくれる。

 全国で1位をとりたい教師はそういうものを読みたいから,読み物や出版物としての需要もある。

 では,「実践記録」はだれにでも書けるものか,というと,そうでもない。

 カリキュラムにも,「ヒドゥン・カリキュラム」という世界があるように,

 自分がこれが当たり前だと思っている指導,

 これはやらないのが当たり前だと思っている指導は,

 なかなか「言葉」にならない。

 だから,全国で1位をとるような学校については,第三者が記者のように張り付いて,すべてを観察することで,その全貌が明らかになるかもしれない。

 問題は,ただの記者ではだめで,少なくとも専門性をもった指導者の立場の人間でないと,「実践記録」のようなものは書くことができない。

 小学校の教師になる人は,必ず読むような本がある。

 これは,教師自身による実践記録で,読むと確かによくできている。

 しかし,そこに書かれていることがすべてではないことくらいはだれでもわかる。

 私の教え子にも,本にはいいことを書いている先生だが,実際には全然違う教育を受けてきた子どもがたくさんいる。

 教師と子どものやりとりは,たかだか1000ページ,2000ページくらいの本で語れるものではない。

 実践記録から読めることの限界はある。

 ただ,「魂」はきっと伝わる。

 マニュアルにも,「魂」を伝えることはできる。

 「魂」をもった人が,「魂」の入ったマニュアルを使って指導すれば,

 きっと伝わるものがある。

 学習指導要領の解説には,「魂」が宿っている。

 中教審などの答申にも,「魂」は宿っている。

 それを「感じる」センスのある人でないと,教育はできない。

 そこに何もふれることができない教育関係者は,ニセモノである。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より