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学校の先生は,校長の方針を多数決で否定することができる・・・yesかnoか?

 大学の先輩でもあるし,学校に訪問したこともある人のことだから,

 あまり悪いことは書きたくないが,

 裁判所の判決に納得する人は多いと思われる。

 東京都教育委員会は,「職員会議で教職員に挙手や採決をさせてはならない」との通知を2006年に出している。

 その目的は,裁判所が述べているとおり,

 「職員会議が重要事項を多数決で決定する実態」というか「慣例」が

 校長の学校運営上,支障をきたすことが多かったので,

 学校経営でリーダーシップを発揮できるように,校長を支援するために出されたものである。

 あなたが地方の事業所に所長として赴任して,自分なりの方針や,社長の方針を徹底させたいと考えるとする。

 しかし,事業所に勤務している社員たちが,多数決で所長や会社の方針に従わず,何でも反対しているという事態を想像してみてほしい。

 所長は存在する意味をもたない。

 このように,社会の常識が,高校では通用しないという実態があった。

 通知文の内容に,一般の教員が不服を申し立てるというのなら,筋は通っている。

 今まで通り,「自分たちの好きなようにやりたい」というのが本音だろう。

 しかし,校長という立場の人間がなぜ,こういう通知に対して

 「教育への不当な支配」と判断するのか。

 校長も,何でも「職務命令」で済ませたくはない。

 教員の意見をしっかり取り入れながら,学校経営はしてきたいものである。

 ただ,「ここは譲れない」というものもあるだろう。
 
 これがことごとく「多数決」で反対されてしまっては,トップとして存在する意味はない。

 今までは,「泣き寝入り」する校長ばかりだったのだ。

 というか,ただの「飾り」にすぎなかったわけである。

 それでよい,と割り切っていた校長も多かったはずだ。

 教員や生徒たちにとっては,「いてもいなくても関係ない」のが校長だったのだ。

 それが,今は校長に「経営者」としての資質が求められるような時代になった。

 「こんな学校いらない」という批判に,きちんと答えられる人材が求められるようになった。

 教育委員会は校長を孤立させない。

 そういう強い意思をもって,校長をバックアップするようになった。

 それに校長が反発したわけである。

 簡単に言えば,事業所長が社長の方針に背いたのである。

 教育長の方針に校長が反対しているのだ。

 こういう態度をとっている人間が,退職後もなお,雇ってもらおうとする態度は一般企業なら考えられないだろう。

 私はもう東京都とは縁が切れているが,

 東京は,世界から見れば「国」に匹敵する人口を抱えた大都市であり,その
 
 動向が日本全体に与える影響は非常に大きい。

 天下りをはじめとして,悪しき慣例で自分たちを守ろうとする公務員に厳しい目が向けられている今,

 敗訴した元校長の主張はなかなか理解してもらえないだろう。


 
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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
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