PTA役員への「お土産を買う」ことに反対する教員
若い先生たちには,とても参考になる話を提供してくれる人がいる。
授業を自習にしてのこのこと出張できてしまう一方,
学校の「慣例」に,会議という公的な場で反対できてしまうような人が,どこにも一人くらいはいるだろう。
公的な場で,私的な話を出してしまうのは,一般社会では「ご法度」である。
これが教員の非常識の一例である。
社会の常識を知らない公務員は,なぜか
ツボにはまると,ピンポイントで「公務員ぶる」ことがある。
修学旅行に行った帰りに,教員がPTA役員へのお土産を買う,というのは,
これは「表向き」にやっていることではない。
もしも「表向き」になってしまっていたとしたら,
ある校長がやったことを,その次の校長が踏襲せざるを得なくなって,続けていたことである。
当たり前だが,そんなお土産を買う義務はない。
しかし,それがあくまで「私的」なものなら,禁止されるいわれはない。
業者は,子どもを必ず「お土産屋」に案内するだろう。
「お土産を買う」というのも,子どもにとっては立派な「社会勉強」である。
お土産を買ってくれる人が来るから,観光業は成立するのである。
「子どもは観光のために旅行しているわけではない」というのはただの詭弁である。
それならば,観光地に行ってはならない。
教員が「日頃お世話になっているPTAの役員にもお土産を買うんだ」と子どもに言っても,それが教育的な価値をもつ場合がある。
教員がPTA役員にお土産を渡している,という話を聞いて,
「怒る国民」がいるだろうか。
もちろん,子どもから集めた金で買っていたら問題だろう。
しかし,ポケットマネーで買っていたとしたら,
「一応,社会人としての常識があるんだ」と見られるのが普通である。
修学旅行の話なら,ほかに
いくらでも「おかしい」ことはあるはずである。
費用は適正なのか?
訪問先はそこでよいのか?
そもそもそれは必要なのか?
学習として本当に成立しているのか?
それらを問うことなく,
「お土産反対」を会議で提案する人は,本当におもしろい。
はっきり言えば,「どうでもいい話」である。
こういうとき,管理職はどう対処するか。
公の場では,「もうやめます」と言えばよいのである。
反対している人間に気づかれないように続ければいいだけの話。
いかに「自分はまともか」「自分は正常である」ことを必死にPRしているのが,
痛々しい。その行為そのものが「正常」ではないからだ。
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