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なぜ道徳教育は充実しないのか?

 何度も書いてきたことだから繰り返すまでもないことだが,

 なぜ多くの教師が道徳を苦手とし,

 多くの児童生徒が「もっとも充実していない時間」の一つに道徳をあげるのか?

 それは,

 「テストで成果が測れない」ことが一つの要因である。

 仮に「テストで成果が測れる」としても,

 学習に関する技能の「格差」なら子どもでも納得がいくが,

 「道徳性」に関する「格差」を持ち出されると,それが「心の傷」になりかねない。
 
 ある人のように,

 「生育歴のせいだ」

 なんて主張されると,自分だけでなく家族への「疑念」「否定」に結びつくおそれがある。

 名古屋市の中学生が,注意してきた父親をナイフで刺した。

 2人暮らしの父親がいなくなることの意味は何か。

 好きなだけゲームができることか。

 子どもを「指導すること」は,教師でも親でも難しい。

 もしこの生徒の「道徳」の「成績」があったとして,

 それが「たいへん優れている」というものであるのも恐ろしいし,

 「特に努力を要する」というものでも,ただ哀しいと嘆いてはいられない。

 
 「道徳」の「評価」に限らない。

 「学習評価」も同じである。 

 「評価」「評定」の機能を,見直すべきときである。

 「どういう成果が表れたのか」をすぐに知りたがる傾向を

 学校現場に持ち込んだのは,

 文部科学省である。

 学校教育を管轄する文部科学省が,

 いくつかの省庁から優秀な人材を集め直して

 教育省という新しい組織を立ち上げ,大変身を遂げない限り,

 日本の教育は,

 「小さく」「小さく」なっていく。

 今,「小さく」なっていく典型が「大学」である。

 話がそれたので,またの機会にしたい。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より