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体罰を止めるための教育実践が求められる

 子どもがいる親かどうか,

 親や教師から体罰を受けた経験があるかどうか,

 体罰をしてきた人間かどうかが伝わってきます。

 教師で俄然強気の意見が言えるのは,もちろん,体罰を行った経験がほとんどない人。

 「自分は無関係」という無責任な雰囲気が漂っているのが,

 「そういう教師らしい」ところです。

 いじめと同じで,体罰に関しても,

 体罰をした教師に対して本人が何をしたか,何ができたかが大事です。

 私は,体罰が起こりそうになったときは子どもと教師の間に体を入れてしまいますから,

 問題を未然に防ぐことができますが,

 何もできない人は多いでしょう。

 
 学校で体罰を受ける子どものいくらかは,家でも体罰を受けています。

 何と今でも,「何か問題を起こしたら,手をあげてもらってかまいません」

 という親がいます。

 こういう親に限って,本当に子どもが体罰を受け,その理由に納得できないと激怒することになるのですが。

  
 教師は,親に対しても,「体罰はいけない」と訴える必要があるでしょう。

 「親は法律で体罰を禁止されていない」という声が聞こえてくるかもしれませんが,

 要は,「体罰をしても効果は一時的なもの」ということを伝えればよいのです。

 
 親の場合は,体罰の対極に,

 ネグレクトというのがあります。


 教師の姿を見てください。

 授業をしながら「ネグレクト」している教師がいかに多いか。

 
 体罰だけを見ると,大切なことを見落とします。


 教育は,親と,教師と,社会の協同作業だということを忘れてはいけません。

 
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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より