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公立中よりも私立中を選ぶ理由

 公立も中高一貫校が増えていることを述べたが,

 私立中を選ぶ親には,「高校受験」という「無駄」を省いてあげたいと考えている人がいる。

 ねらいは「大学受験」であり,中高一貫の6年間のカリキュラムをそのゴールに向けて効率的に組めるのが私立の特徴である。

 非常に残念なのは,公立の中高一貫校も,「大学受験」の成果を求める傾向にあることである。

 ナントカの一つ覚えのように,「東大合格者何名」が合言葉になる。


 「中学受験」と「高校受験」のうち,一度だけできるとすると,どちらの方が人生にとってプラスになるだろうか。

 私は「中学受験」組だったから,あの頭の柔らかい時期に,「難問」にチャレンジできたことはとてもよかったと思っている。

 何しろ,小学校では全く学ぶことのない,教科書の何倍もの知識や技能や思考が問われる問題の「準備」ができるからだ。

 逆に言うと,塾に通わなければ,入試で通用する力はつきにくい。


 公立中学校のほとんどの生徒が経験する「高校受験」の場合には,こういうものが少ない。

 塾に通う必要はないと思われる。

 「高校受験」は,私も中学生を多く見てきた経験から,ないならそれに越したことはない「負担」のように感じられる。

 たいしたことない公立の入試問題で選抜される中学生たちが,哀れでならない。

 ただ,「試験による選抜」に対して,

 そういう「同情」が社会的に通用しない国が近くに複数ある。

 自己責任が強く自覚されている国々である。

 こういう国と対抗できる人材を育てるのは,「試験」では無理である。

 「教育」の中身の充実が強く求められる。

 だから,

 「学習指導要領」の内容にもっと口が出せるしくみを社会として築くべきであろう。

 下村大臣には,そういう感覚で改革してくれる期待感がある。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より