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作文力のつけ方

 小学校の教師には,平気で嘘を教える人がいる。

 「作文では,起承転結を用いろ」というもの。

 もう,こんなことを本気で教えている人はいない。

 そもそも起承転結は,漢詩の絶句のように,

 起承転結が楽しめるもののためにある文章スタイルである。

 当たり前だが,

 「自分の言いたいこと」を書くとき,

 「自分が相手に強く伝えたいこと」を書くときは,

 そんな形式にこだわる必要はない。

 論文を書くときのことを考えてみればよい。

 「転」などあってはならないのだ。

 今,仮に「起承転結」が大事だ,なんて指導する場合も,

 「転」は「視点を変える」などの意味で使われており,

 本来の意味の「転」ではない。

>言いたいことを強調するために、起承転結がある

 などというのは大嘘である。

 知識の更新を強く訴えている本人が,

 全くそれに応えていないところが痛々しい。

 人間には,

 「わかっている」が「できない」ことがある。

 「できない」ことを何とか「できる」ようにさせることができるのは,

 学校のように,「教育」の機能があるところでないと難しいらしい。


 文学や詩文と,「言いたいことをストレートに強調する」ための文は違うのである。

 漢詩のように,一定の形式の中で書く力を伸ばす,

 ということも大事だろうが,

 言いたいことはストレートに言う。

 書きたいことはストレートに書く。

 それが一番大事なことである。

 「何の役にも立たない」だけでなく,平気で「誤解をまき散らす」という意味では,
 
 本当に「迷惑なブログ」である。

 知識はあっても,

 それが活用できないのが,学力をめぐる問題の一つである。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より