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言いたいこと(指摘したいおかしな話)は,山ほどある。

 一般的なブログの記事のように「短い文章」すら,まとまりを欠いて何の意味もないことが挿入されているものがある。


>4月になれば、新入生、新入社員の季節。
>一年生はそれが小学生、中学生、高校生、新入社員であろうとみなかわいいと言う。
>私もそう思う。
>でも、いつしかそのかわいさがなくなるのは、なぜだろう。
>余計な苔が生えたからではないだろうか?


 この一節がどういう文脈の中に挿入されているか,現代文の問題で出題されても,だれも解けないだろう。

 前後と何の脈絡もない一節だからである。

 そもそも,この一節の意味すら怪しい。

 「余計な苔」が生えるのは,だれか?

 この答えは何だろう。

 「かわいい」と見るのは,上級生や大人である。

 「かわいさがなくなる」と思うのも,同じである。

 その理由として,「余計な苔が生える」というたとえは日本語として成立するだろうか?

 「苔が生える

 という言葉の意味は,

 「長い年月を経る」とか,

 「古めかしくなる」というものである。

 中1に余計な苔が生えたのが,中2や中3なのだろうか?
 
 見る側に余計な苔が生えたのだろうか?

 失礼ながら,多くの日本人には,このたとえは通用しない。

 こういう「問題点の指摘」をメールで知らせてくれないのは,
 
 「裸の王様」としてコケにされているからではないのか?


***************


 人の心配をするより自分を見つめなければならないのだが,

 それが「絶対にできない」

 「絶対にしない」というしくみは,
 
 お隣の国と全く同じである。

 自分が世界の真ん中にいるから,人を見下ろすことしかできない。

 実際には自分のレベルは下なのに,見下ろすということをしなければならないから,

 体は宙に浮く。

 地に足がついてない。

 地に足がついていない文章は,常に「借り物」で飾られていないといけない。

 全く必要のない言葉の引用。意味の説明。

 内容が全く紹介されずにコピーだけされる本の表紙。

 言いたいことは,山ほどある。

 「長文でも本当に言いたいことはわずか」なのは自分だけの話である。

 どんなに記事を書き連ねようと,書いている内容はごくごく限られた世界の話で,かつ内容がない。

 言いたいことは,

 「自分はこんなにすごいんだぞ」に尽きる。

 そして,それを批判する相手は「頭がおかしい」とくる。

 当人にとっては大きな問題でも,そんな話は現実の「教育問題」とは何の関係もない。

ちなみに,

>先生が「さすが先生」と思ってもらえるのは、作文が書けて、文章が正しく解釈できる場合である。

 そんな程度で「さすが先生」と思われるというのは,どこの国の話なのか?


 
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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より