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日本でカミングアウトが広がらない理由

 教師の話に,子どもが「ドン引き」してしまう,こういうことがある。

 たとえば,カミングアウトである。

 日本では,たとえば自分が自閉症である,うつ病である,ということをカミングアウトする人の割合が非常に低いという。

 カミングアウトする「目的」に対する「理解」が得られにくい社会であることが一因にあろう。

 あるブロガーは,自分の生い立ちを公開してくれている。

 それで読者は「だから他人のことをこういうふうに呼べるのか」ということを納得できるという効果もあるが,

 自分がそういう生い立ちだから,「他人の悪口を書く」ことが許されるわけではない。
 
 自分が許されないことをしていることの「言い訳」にしようとしているのか,と勘繰られるおそれがある,と心配する人なら,こういうカミングアウトはしない。

 幼児期に基本的信頼感が獲得できないで育った人間は,

 自分のことを批判してくる相手を
 
 「敵」としか理解できなから,学校でも荒れるのである。

 「相手が批判する目的」を考えるゆとりのある人間なら,

 相手の誤解を解消する努力をするとか,正しく理解してもらえるような説明をするとか,

 そういう努力ができるのである。

 その努力というか,行動が全くできないブロガーが,そのことによって読者の注目を集めるブログ村は,ある意味で「学校の縮図」である。

 教師の方の基本的スタンスは,「粘り強く」である。

 相手が分かるまで,説明する。

 「説得」はしない。

 あくまで相手が「気づく」ことが大切なのである。

 
 話は横道にそれるが,授業案の中で,「気づく」(「気づかせる」)を私が多用したことを批判した教師がいた。

 おそらくその教師は,「気づかせる」ことがどれだけ大変なことか,理解していない。

 「理解させる」ことが,どれだけ大変なことか,理解してない。

 
 どんなに理路整然とAという生徒が発表しても,その他の39名が理解できているとは限らない。

 小学校で,そういう風景をよく見る。

 ある子どもが,本当にもっともらしい答えを出し,その他の子どもがウンウンとうなずいている。

 その様子をみて,「みんな,よく理解できましたね」・・・・・・って・・・・。

 そんな子どもの理解状況への理解が正しいわけがないことは,中学生なら理解できる。

 なぜか。理解できていなかったことが理解できるから。

 
 話を戻そう。

 カミングアウトをする目的が,「私を理解して」ではなく,

 「私のような人を理解して」なら,いいのである。

 願いが「私のような人を理解して」ならば,

 「私のような人」が書いている文章に,きつく当たったりはできないはずなのだ。

 つまり,利己主義の人間のカミングアウトなど,だれも望んでいないということである。

 
 自分のことはどうでもいいから,他者にやさしくし,

 自分と同じような境遇にある人のことを理解してほしい,

 という願いのもとでの行動をとらなければならないのである。


 情熱が邪魔して自分だけ先走っている教師が少なくなれば,日本の教育は少しはましになる。

 
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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より