ガラケー化する学校
日本の学校では,リーダーシップは重んじられない。
横並び+年功序列が大事に大事に守られてきた「聖域」だから。
もちろん,学校に限った話ではないが。
学校と一言で表現しても,そこで働いている教師は,
学校のため,というより,子どものため,という意識で教育しているから,
「自分が正しいと思う道を行く」人が多い。
「自分が正しい」と思えば,国旗に唾を吐きかけ,国歌に耳を貸さない。
教育委員会を訴える。
それで立派に?公務員がつとまる「自由」な国で生きていることに,感謝しているかどうかは知らないが。
そんな教師が多数派の学校,
そんな教師の影響力が多い学校では,
リーダーシップを校長が発揮できるわけがない。
リーダーシップを発揮するのは,わがままな人だけである。
組織が一つにまとまることが決してない学校では,
新しいことはほとんど決められない。
今までどおり,というのが合い言葉になる。
そして,時代に取り残されようとしている。
学校ごと,「ガラケー」化していく。
「ガラケーにもいいところはある」と人は言うだろう。
しかし,「慣れ」というのは,おそろしいものである。
人間は「習慣の奴隷」と言われる。
スマホになれると,ガラケーのように表示画面の小さいものは使いたくなくなる。
学校は,「ガラケー」のようになっているのである。
「スマホ」のような学校をつくる自由を与えてしまえばよい。
公立がよい。
なぜか。一部の公立がそうなれば,結局,みんなそう変わらざるを得なくなるからである。
ただ,「スマホ」のような学校の設立によって,私たち教師が恐れるべき事態が生じる可能性がある。
それは,教師がだれにでもつとまる時代である。
非正規雇用を主力とした,スーパーのような場所になるかもしれない。
なぜそれが可能になるか。
子ども1人に最低1人の教師がつく学校が生まれるからである。
教師の存在意義は,いつの時代にも問われ続けている。
近いうちに,「問う」時間が与えられない大きな変化が起こるかもしれない。
時代に取り残されても文句が言えないのは教師だが,子どもだけは救ってあげたい。
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