なぜそのブログは役に立たないか?
ここに,「読解力のつけ方」という本があったとしよう。
その結論が,「勝手な解釈をしないようにしよう」というものだけだったら,
読者は「騙された」と思われるだろう。
以前に紹介したように,
本の中には,ベストセラーではあるが,
だれもこの本を通読していないだろう,という本がある。
こういう場合,著者は多くの印税を手に入れることができるが,
背後には,本のタイトルを決めた編集者が,「これはおれのおかげ」
という本音が隠されている。
タイトルというのは,非常に重要なものである。
教育書の出版社にいつも文句をつけたいのは,
明らかに小学校の教師だけのための本なのに,タイトルや帯の説明などからそれが分からないようにしてあるものが多い。
買わされた方は,非常に残念に思う。
教育ブログというのは,
どういう人が,何のために読むのだろう。
そういう「読み手のこと」を全く考えていない人間がいる。
「読解力のつけ方」というタイトルの記事があったら,
教育ブログの読者というのは,
「読解力を身に付けるポイントはこれと,これと,これは知っているけど,他にもあるのかな?」
などと思って読む場合も多いだろう。
その役に立たないブログには,教師のためのブログというタイトルがついている。
しかし,教師のためになる記事はほとんど見られない。
ためにするとすれば,
「こんな文章を書くような人間にはなってはならない」ということが学べるということだ。
「作文の書き方」の授業で,
「ダメなタイトルのつけ方」の例には使える。
どうして,
タイトルと無関係のことが堂々と書けてしまうのだろう。
そういうレベルでポイントがずれてしまうわけだから,
大事な教育でもずれてしまうのはしかたのないことだったのだろう。
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