書く力を磨くために ~支離滅裂の文章から学べること~
1 >私が,ある時期から多くなってきたと思われる思考のはたらき
=集合の概念が欠落
2 >国語の書く力を高めるには,考える力が必要
→考える力を高めるには,答えのないものに取り組まないといけない
(原典には,答えのある勉強で子供の生活時間を埋めないこと,子供に考える力をつけるには,自由に遊べる余地を残しておくこと,とある)
3 >子どもの場合=遊び
>大人の場合も同じ=趣味もいいのではないか
4 >書く力=作文力は読解力も必要
5 >日本は識字率が高い・・・・が,
6 >正しく理解できているのか→先生のような仕事をしている人であっても疑問
7 >読み取ったことが正しいかどうか確認するために,自分の意見に添えて,それは何処の部分か参照するかリンクすることがいいのでは
8 >正しく文章を理解しないで,自分で勝手にきめつけて解釈をする人を「こんにゃく思考」と呼ぶことにしましょうか?
以上のような流れをもつ文章で,
結局,言いたいことは6~8の部分でしょう。
あとの部分には,何の意味もありません。
まず,1から2にはつながりがない。
集合の概念がないのは,この人の場合「~のせい」である,と常々書いています。
書く内容にもよりますが,考えた結果を書く場合は,考える力がなければものは書けないのです。
2では,「読む力」ではなく,「思い込む力」の強さを感じさせてくれます。
引用している文には書いてないことが,解釈の内容に表れています。
2から3へのつながりがおかしいのも明らかです。
「問題」に対する「遊び」なのに,「遊び」がいきなり「趣味」に飛んでいます。
「思います」「気がします」の多用は,作文では避けるべきこと,と教えてくれる先生がいなかったのでしょうか。
4では,すぐ上で自分に「読解力」がないことを示した上で,それが必要だと示してくれています。
4から5はまた話が飛びます。
「読解力」から「識字率」にレベルが下がっていきます。
「読解力」というのは,文章を読んで,「ああ,この人,どうかしているな」とわかる力のことを指します。
「識字率」の説明は,引用の通りです。
結局,言いたいことは,6以下なのです。
しかし,それで自分を守ることはできません。
「国語力」「考える力」のレベルが,話の中でごちゃまぜになっているのですよ。
小学校1年生から6年生までを教える人なら,わかっているはずのことなのですが・・・。
そこまで論理的でない文章を読まされれば,
「どうしてそうなってしまったんだろう」
という心配を呼び起こすことになってしまうのです。
書く力を磨くためには,
自分の欠点をごまかそうとしないことが重要です。
「正しく理解していない」証拠を示さないといけないのに,
それには全くふれませんね。
理由は簡単。
それをやってしまうと,自分の方が不利になるのが明白だから。
指導力のない教師の最大の問題は,
自分に問題があるということを絶対に認めないことなのです。
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