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「ゆとり世代」だから,応用力がある・・・はずだったが・・・

 良問よりも悪問で「落とす」ことを重視した私立大学のことは脇へおいて,

 大学入試や公立高校の入試で,まとまった文字数の文章で解答させる問題が増えている。

 学習指導要領の改訂の趣旨を受けたものである・・・・はずだが,

 実は,改訂がなされなくても,そういう問題はある程度は出題されていてもよかったはず。

 しかし,問題を作成する側になってみるとわかるが,

 「正解」「採点基準」がはっきりした,文章で答えさせる問題というのはなかなか作りにくい。

 定期考査なら,返却が終わった後,いろいろと議論して,

 採点基準が変わることはあり得る。

 しかし,入試問題となると,そうはいかない。

 もし,その基準が誤っていたら・・・・。

 さて,一般的には

 「ゆとり世代」=「学力が低い」

 と思われているようだが,

 実際には,表現力や応用力を鍛える「ゆとり」があったのが「ゆとり世代」だから,

 そういう問題には強くないといけない。

 実際はどうか。

 東京都立の社会科の問題を教育委員会のHPからダウンロードして見てみたが,

 最後の問題の「模範解答」が気になる。

 「問い」に正対した「答え」になっていないように思えてしまう。

 ・・・・という問題が,起こりやすいのは,ある意味では当然のことである。

 「社会科」ならなおさらに。

 特定の正解や採点基準が絶対とは言えないおそれがある社会科では,

 記述式の問題を出すのが適当か?

 「1点」の差で「人生の分かれ目になる」入試には,やはり向かないのだろうか?

 新しい指導要領に基づいて学習し,高校を受験をするのは,現在の中学1生徒である。

 中2よりも,内容が充実した中1の方が,「学力」は高くなるはずであるが,実際のところはどうか?

 この比較によって,「ゆとり世代」の真価がわかる。 


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
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