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私たち教師は,結果が出せる前のノーベル賞受賞者である

 本当に問題にすべきことを隠して,どうでもいいことで論戦をする。

 論点の「ずらし」は政治家の得意分野という固定観念があるが,

 これが「プロ」並みに上手なのは,教育の分野なら教育委員会や学校の教員である。

 一般市民からみると,「ずらし」というより「ごまかし」に近い。

 学校現場で何が問題なのかと言えば,

 教員の指導力が低いことである。
 
 学習指導だけでない。生活指導,進路指導も,十分満足にできている,なんて自信をもっている教師は少数派だろう。

 手は抜かないでやっている。

 だから批判される言われはない,と考えてしまうのが,公務員が非常識であるいわれである。

 常に,批判を受け入れ,その通りだが,現状はこうだ,今,改善に向かっているのは,これだ,と覚悟を決めて説明しなければならない。
 
 教師たちは,結果が出る前のノーベル賞受賞者のような気持ちでいればよいのだ

 ただ,教員への直接的な批判はなかなか届かないのが普通である。


 学校では,満足のいく学力がつかないと多くの親が実感しており,それは現実の問題でもある。

 親は,「教員の指導力が低い」ことを知っているが,普通はわざわざそれを問題にしたりはしない。

 問題になるのは,体罰やいじめが深刻なものになったときだけである。

 今の親は,私の実感だが,昔の親よりも,

 「全体にこういう指導をしています」という言葉に説得力を感じなくなってきている。

 「あなたの子どもにこういう指導をしました」という言葉を待っているのが,今の親である。

 だからいじめの問題では,

 「クラス全体では~」という話を伝えても,意味がなくなりつつある。

 「あなたの子どもには~」とか,「あなたの子どもに~した子どもには~という指導をしました」と伝えないと,「伝えない」というだけで,親は教師を信頼しなくなっている。

 学習面では,昔から,そういうことを伝えてくれることをそもそも親は教師に望んでいない。

 だから,教育産業の需要がなくならないわけだ。

 教師にとって最も重要な問題は,

 学校の教育力,教師の教育力が十分でないことだが,

 そもそも批判を受けつけない体質があるだけでなく,親は大きな問題が起こらない限り批判をしてこないから,堂々と現状を変えないでいられるわけである。

 おそらく,よほどの学校でない限り,

 進んで他の教師の授業の問題点に切り込んでいこうとする教師など存在しないだろう。

 「そんな授業では,私たちの学校の子どもが可哀想だ!」

 なんて会議で叫べる人はなかなかいない。

 「何がどの程度,できていないのか」ということに目を向けらえる強さをもつことが,学校を変える上で重要な前提条件である。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より