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子どもが負う心の傷

 どんな人でも,一度くらいは,

 「大人に騙された」

 と思う経験をするだろう。

 大人になれば,

 「ホンネとタテマエの世界」の必要性が理解できるから,

 納得して終わり,になる話だが,

 子ども時代はそうはいかない。

 子どもはまず

 「親に騙された」

 ことを知り,

 そして学校で

 「教師に騙される」

 ことを知る。

 いろんなレベルの「心の傷」を子どもは負いながら成長していくのである。

 「学校の先生は,全員,すべての子どものことが好きだと言っているよ」

 これは,事実かもしれない。

 しかし,「好きだと言っている」

 ことと,

 「好きである」

 ことは違う。

 そして,人間は,「好きな相手」にさえ,

 その人を傷つけるような行動をとってしまうものである。

 だから,

 そういう「口先だけの言葉」というのは,日本では価値はない。

 何を大事にすべきかというと,

 言葉で表現しなくても,それが伝わるような接し方をすることが大事なのである。

 行動が一番なのである。

 授業を自習にして,子どもがいるのに学校を離れるような教師になってはいけないのである。

 言葉のコミュニケーションが,言葉以外のコミュニケーションよりも非常に重視される国や地域であれば,考えていないことでも,とりあえず「自分がどういう人間であるかの宣言」をすることが必要だから,「話す」ことが重要である。

 日本のような国では,

 「何も話してくれなくても,そばにいてくれるだけで安心できる」

 人間関係が成立してきた。

 そして,「口先の言葉をあてにしてはいけない」という優れたリスクコントロール能力を体得している。

 「話す能力ばかりを重視する」の英語教育の結果,

 海外で騙される人の人間が増えるのは,当然のことである。

 中学校で教師をしていると,

 子どもは「教師とはこういうもの」「大人とはこういうもの」という「常識」をもって進学している。

 ある意味では,小学校の教師に感謝したい。

 中学校は,子どもの「教師」「大人」の観念を覆せる場所であり,

 初めて親以外で信頼できる大人に出会える場所になる可能性を秘めている。

 学級担任制の小学校では,

 信頼するもしないも,相手が一人しかいないのだから,

 子どもは「大人」を「学ぶ」ことができない。

 信頼しなくてはいけない大人ではなく,

 信頼できる大人に出会える場所で,子どもは変わっていく。

 それに失敗して大人になっていった子どもたちが,今,教師になって

 どういう生き方ができるだろう。

 子どもとの距離感がわからない教師が増えている理由はとても分かりやすい。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
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