「分かりやすさ」を第一にする教育が行き着く先
以前に,書いた話だから繰り返さないが,
ヒトラーはどのような演説を心がけていたか。
それは,民衆の愚かさを逆手に取った作戦である。
それと同じことを小学校では堂々とやっているらしい。
「分かりやすさ」とは何か?
このことへの深い洞察を持っている小学校教師がいたら教えてほしい。
「分かりやすさ」で受けた政治家が,国民にもたらしたものは何なのか。
「だれでも分かる」ということの意味は何か?
そもそも「分かる」とは何か?
あなたがもし教師だったら,自分が行っている教育の特色をひとことで表現できるだろうか?
それも,専門とする教科指導における特色について。
そんなものをひとことで表現できるような教師を,だれが優秀と判断してくれるのだろうか?
だれが信用するのだろうか?
「愛を大切にしています」と真面目に自分の担任が答えたら,
保護者はどう感じるだろうか?
キャッチコピー,キャッチフレーズ,全盛時代である。
日本人は,流行語というものへの関心が高い。
短いフレーズで,分かったような気持ちになることの危険性を,
歴史から,社会の現実から学ぼうとする姿勢を子どもに身につけさせる場が学校である。
「生きる力」という言葉は私がつけた,と自慢していた役人を忘年会で見たことがある。
どの省庁の役人かは言うまでもないだろう。
「言語活動」という言葉も,今,一人歩きしている。
勘違いしている教師たちが,「話し合い」の時間をただ増やしている。
「言語活動」を「はやらせた」人間は,地方から中央へ上ってきたらしい。
この国の教育の課題は,こうした話からも明らかである。
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