ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 【再掲 ~道徳を考える・その2~】 道徳の教科化(2007年4月) | トップページ | 小学校には,分かりやすい「いじめ」の原因がある »

いずれ常態化する教師と子どもの排除合戦

 体罰の厳禁化だけでなく,過去にさかのぼっての告発が行われ始めている。

 教師の徹底的な排除合戦の幕開けである。

 すでに,荒れ始めている学校もあるだろう。

 そして,手がつけられないほどの暴力や破壊活動を繰り返す子どもは,指導を受ける機会も得られず,学校から排除されていく。

 私は中学校の教師で,荒れた学校の荒れ果てた生徒をどうにか希望の高校に入学させたものの,ごくごくわずかな期間で退学処分という形で排除されたという話を以前に書いた。

 高校の教師が生徒を挑発し,暴れさせて学校から追い出したのである。

 高校の教師は痛くもかゆくもない。

 いるだけ面倒くさい,邪魔だ,そういう生徒だったろうと思う。

 義務教育と,未履修をやらかすようないい加減な教育機関の違いがこれである。

 同じことが,義務教育でもおこるだろう。

 ・・・・・・・・・・というのが,悪いシナリオである。

 体罰の厳禁化によって,

 「理想の教育ができる」という希望に目を輝かせている人に会ってみたい。

 頼もしい限りである。


ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村 教育ブログへにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ

« 【再掲 ~道徳を考える・その2~】 道徳の教科化(2007年4月) | トップページ | 小学校には,分かりやすい「いじめ」の原因がある »

教育」カテゴリの記事

ニュースより」カテゴリの記事

ブログネタ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: いずれ常態化する教師と子どもの排除合戦:

« 【再掲 ~道徳を考える・その2~】 道徳の教科化(2007年4月) | トップページ | 小学校には,分かりやすい「いじめ」の原因がある »

2019年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より