負けず嫌いのブロガーの関心事
自分の話で情けない思いをしたあとは,必ず「おかしな反撃」をしてくるのが慣例である。
どこで調べてきたのか,東京の教育に関心のあるブロガーが,
ネットの掲示板から楽しそうに公立学校への悪口を拾っている。
どこから情報をもってくるかで,すでに「アウト」である。
教育に情熱をかける教師には,決して学んでほしくない典型的な人間である。
嫌悪感を禁じ得ないのは,子どもを「残りカス」と呼べる感覚をもつ人間に親近感をもっていることだ。
いつの時代のデータか知らないが,首都圏と書きながら,内容は東京都の教育である。
東京都は,中高一貫校が増えた影響もあり,保護者の中学受験に対する関心は高まっている。
それでも,多くの子どもは公立中学校に進学する。
23区だけでも900万人いる規模の大都市である。
中国・四国地方の9県の人口を足しても,東京都の人口には250万人近く足りない。
フィンランドの教育が一時期注目を集めたが,
フィンランドの人口は北海道よりも少ない。
日本は子どもよりもお年寄りを大切にする国。せっかく規模が小さくても,教育にお金はまわってこないから,地方は本当にもったいないことをしている・・・というのは個人的な感想である。
話を戻そう。
ネット掲示板上の「悪い話」ばかりを集めて,
「東京の教育は悪い」と宣伝したい「田舎のおじさん」は,
教育に情熱をかける教師に何を伝えたいのだろう?
結局,そんなものは何も持ち合わせていないのだ。
持っているのは,自分を守りたいという感覚だけである。
どうして「まもとな修学旅行をしてきた」ことを強調したいのだろう。
しかし,残念なことに,次の一言でアウトである。
これを「丸投げ」「業者任せ」という。
>修学旅行も、何社かにプランを出させ、それを何人もの先生で協議し、いいものを採用しています。
一番いい方法がある。
業者がつくったものでもかまわないから,当時の「行動要領」を示してくれればいい。
でも,それもどうでもいいのである。
だれも,「接待を受けていたかどうか」などを追求する気はない。
修学旅行というのは,業者に旅行代金のどれだけがいくか,その数字がすべてを物語ってくれるのだ。
経済に関心のある人間なら,容易に想像がつく話である。
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