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体罰防止装置の開発?

 体罰を繰り返す教員の研修で,画期的なものはない。

 なぜ教員は体罰を繰り返すのか?

 ある教師は,「これだけさわがれているなかで体罰をしたのは申し訳ない」

 と謝罪したという。

 「ほとぼりがさめるのを待っていられなかった」

 ということか。

 いや,体罰は,なかなか「やめられない」ものなのだ。

 よく,「信頼されている先生」

 「すごい指導力のある(といわれる)先生」が

 体罰で処分を受ける。

 指導力のない人は,逆に暴力を受ける対象になる。非常に対照的である。

 
 体罰を行っているときの,教師の「脳」では何が起こっているのだろう。

 体罰を行う瞬間の「脳の働き」を調べることは容易ではないだろう。

 しかし,

 「観察」によってわかることがある。

 体罰は,他の教師や生徒の面前で行われることも多い。

 そのときの教師の様子を,言葉で表現するとどんなふうになるのか。

 「使命感の塊」

 「不動明王のような形相」

 「まわりが見えていない」

 「自分が見えていない」

 「迷いがない」

 「自分だけが正しいと思っている」

 「協力者がいない」

 「孤独」「孤立」

 ・・・・・・・・・・別に「体罰防止装置」を開発しようとしているわけではない。

 行政の立場なら,

 「実効性のある体罰防止策」を講じる必要がある。

 顧問の指導の姿をすべて「録画」=記録するという方法も考えられる。

 これによって,外部の評価機関に「指導力の査定」をしてもらうこともできる。

 それよりも,

 まもとな授業が行われるように,

 すべての教師の授業を「録画」=記録することが求められる時代が来るかもしれない。

 いや,もう現在,子どもが持ち込む小型カメラで授業は録画されているかもしれない。

 卒業生が,盗撮で退学になった同級生の話をしてくれた。

 教師は,カメラの前でも,
 
 体罰ができるだろうか。

 教師は,カメラの前でも,

 恥ずかしい授業ができるだろうか。

 学校として,絶対に問題にしてほしくないことがある。

 体罰以上に,隠したいものがある。

 それが「授業」である。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
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