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人間の「強さ」を教えられる教師をめざそう

 批判に対して正対できない教師,

 批判を無視する教師,

 批判に逆ギレする教師・・・・

 こういう教師は,人間の「弱さ」を子どもに見せつけてくれている。

 「反面教師」としての役割ももっているが,

 こんな教師ばかりでは,「反面」であることがわからない子どもがたくさん生まれてしまう。

 教師は,批判に正対するべきである。

 批判を無視すべきではない。

 自らの実践をもって,批判にこたえるべきである。

 マーティン・ルーサー・キングの言葉に,こういうものがある。

われわれに苦難を負わせようとする力に,われわれがどれだけ耐えられるかという,われわれの力を対抗させる。あるいはわれわれが迫害された場合,どこまでわれわれは迫害する人間をも愛することができるか,という力を対抗させよう。これが一番強いのだ。

 これは,

 大塚久雄著『生活の貧しさと心の貧しさ』,みすず書房,1978年

 の中で,

 大塚野百合,加藤常昭『愛と自由のことば』,日本基督教団出版局,1972年

 に掲載されたものの一部として紹介されたものである。

 大塚久雄は,

これは長いキリスト教の歴史を通じて,その信仰の奥底に流れつづけてきた思想ではないでしょうか。

 と記している。

 私はキリスト教徒ではないが,

 キリスト教が世界宗教となった背景には,

 古い「正当性の意識」で凝り固まった人間からの迫害にひたすら耐え,心の平安を保つ姿が,多くの人にとってすばらしいと思われるものだからだと考える。

 私たちは,

 教育という名のもとに迫害が行われているのではないか,と自問しなければならない。

 伝統的な「正当性の意識」という殻に閉じこもっていないと教育できないような,

 そういう教師を変えていかなければならない。

 体罰という暴力に耐えている子どもの側から,学ばなければならないということである。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より