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【再掲 ~道徳を考える・その3~】 子どもが道徳の時間に学んでいること(2009年9月←2008年7月「子どもが自らつかむ道徳的価値とは?」)

 長男の担任は,「道徳の時間が嫌いだ」と公言しているようです。

 そういう教師が「登場人物の気持ちになりきって」迫真の「演技」を授業でしている・・・。

 子どもの価値観は,どのように育っていくのでしょう。

 「道徳教育」という言葉があり,「道徳の時間」があるために,教師たちは学習指導要領に示された様々な「価値」を教えようと努力するわけですが,それが「どのような努力」「何のための努力」かを子どもが知ってしまうと,全くねらいとかけ離れた教育が営まれることになります。
 
 子どもたちにとって,「大人たちのずるさ」「建前重視の日本社会」を学ぶのが道徳の時間になってはいないでしょうか。(以上,2009年9月15日の記事)

********************

08/7/04

子どもが自らつかむ道徳的価値とは?

 道徳の副読本や「心のノート」には,ごくごく当たり前の指導言が書かれており,これに反対する人は一人もいないと思います。

 しかし、そう教師に言われた子どもが、みんなそのように学び合う関係をつくっていけるか

 それができたら「教育改革」なんて必要ありません。

 教師は、「道徳で教えたでしょ!その通りにしなさい」などとは言わないでしょうが、そんな感覚を抱く人は少なくないと思います。

 子どもは、大人の「ごく当たり前の指導言」に出くわすと、何と思うか。

 「きれいごとばかり言って!」「大人のあなたはそういう関係がつくれているのですか?

 道徳の授業が苦手な教師が多く、道徳の時間がくるのが待ち遠しいという生徒が少ない理由は、教師でなくても考えればわかることです。

 ポイントは、子ども自らが道徳的価値に気付けるような指導となっているかどうか。

 道徳の成否は、ごく当たり前の、常識的なことをわざとらしく答えなければならない授業ではなくて、それが「自ら学んだ」「自分で獲得した」価値となったかどうかにかかっています。
 
 なぜ「自分より実力のある人間とつき合いなさい」などと教師が言うのか。

 子どもたちにも、必ず考えてもらいたい問いなのです。

 本当に素直にこの言葉を受け取って、じっくりと人間観察を始める子どももいます。

 なぜ「誰とでも分け隔てなくつきあいなさい」という当たり前のことを言わないのか。そこに疑問や興味を感じる子どももいます。

 とりあえず、「自分より実力のある人間とつき合う」努力をしてみると、どんなことがわかるのか。

 自分は、「実力」を固定的にとらえていないか。

 勉強のできる子ばかりを探そうとしていないか。

 その幅の広がりに目が向いているか。

 自分は豊かな人間観・友人観をもっているか。 

 子どもたちは、さまざまなことを気付かされるのです。

 生徒たちに限らず、大人でも、自分より優れたものをもっている人とのつきあい方が上手でないために、損している人はたくさんいます。

 環境自体が誰とでも分け隔てなく活動するようなシステムになっている私の学校では、子どもに強調する第一点が、「長所を学び、盗んでいこう」ということになります。

 わざわざ、「あなたの長所をまねしたいのですが、いいですか」などと、断る必要はありません。

 どんどん盗んでいいのです。

 発表するとき、たとえや図を使いながら説明すると意味が伝わりやすいんだな。

 発言するときは、先生の方ではなく、教室の中央に向かって話すという方法もあるんだな。

 みんなの注目を集めるときは、ちょっとだけでもジェスチャーを入れるのが効果的なんだな。

 友達の失敗のフォローって、こうすると相手が傷つかないですむんだな。

 先生に質問するときは、あらかじめこういうメモをつくっておくといいんだな。

 テストで出そうな内容を質問するときのポイントはこれだな。

 この人のノートは見やすいっていうけど、ポイントはこのスペースの使い方なんだな。

 この人の話し方は、なんだか安心感を相手に与える。そのこつは笑顔とタイミングのいいうなずきかな。

 ・・・「学び慣れ」していくと、加速度的に長所が盗めるようになっていきます

 そして、最も「学び上手」の生徒が、よきリーダーとして育っていきます。

 さらに、「学び方」がわかってくると、それを他の生徒に教えることも得意になってきます。

 「気の合う」友達づきあいというのは、黙っていても子どもは勝手に始めるものですし、その中ですでに「学び合い」をしているかもしれません。

 また、「つきあい」には、メル友になるようなレベルのものもあるでしょうが、班、係、委員会、部活動、当番活動・・・など、子どもたちには「つきあい」だらけの毎日を過ごします。

 ただ、惰性のつきあいをしていると、子どもの中には、相手の欠点ばかりに目がいって、ときにはそれを攻撃の材料にしたり、自分と共通した欠点を互いに慰め合う材料にしたりするものです。

 いじめ問題も、多くの場合、「相手より優位に立ちたい(立ち続けたい)」という願望が引き起こしていると私は考えています。

 ですからあえて教師の側では、「力のある生徒とつきあおう」というわけです。

 自尊心が高すぎる生徒にはその鼻の高さを調整する指導を入れることがありますし、理想が高すぎて自己肯定感が弱い生徒には、友だちからのはたらきかけによってその感覚を高めさせる指導を入れることもあります。

 「長所に目を向けさせる」教育。

 子どもによっては、それが短所への攻撃性を高める原因になっているとお感じかもしれませんが、もし実際の攻撃があったときこそ、その生徒への「人間教育」の指導の糸口になるのです。

 人間が対等であるとか、敬意をはらうべき対象であるということは、子どもたちが道徳的実践の中で自ら気付いていくものです。「そういうものなんだから・・・」では、子どもを変えることはできません。

 「そんな言い方、おかしんじゃないか?」という興味・関心をひくことができただけでも、このような指導法の効果を実感していただけるのではないでしょうか。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
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