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【再掲 ~道徳を考える・その1~】 道徳の行方(2009年12月)

 道徳の学習は、「いっそのこと知識問題として捉えた方がスッキリする」と思っている生徒も教師も多いかもしれません。

 だれが何をどう評価したか、ということを評価することはそれほど難しいことではないのです。

 道徳が教科になるときは、教養というイメージに近い「知識モノ」になり、ますます「建前社会」が強化される準備が整うのでしょうか。

 価値を共感的に受け止めることのできる子どもは、価値が極めて高い形で表れているときには、感銘を受ける。

 子どもたちにとって、「学ぶことの価値」ほど実感のわかないものはありません。

 ですから「価値」自体を問題にする道徳ほど、指導が難しい時間はないのです。

 共感をおぼえたり感銘を受けたりすることそれ自体は、何も学校でなければ学ぶことができないものではないし、むしろわざわざなぜこんなことを学校で・・・という思いも抱いていることでしょう。

 すべての子どもにタイムリーな話題というのはなかなかありません。たとえ合唱コンクールの成功に向けてみんなが一丸となって努力しているように見えている時期でも、合唱「困苦ール」で悩んでいる子どももいるわけです。

 もし子どもの現実から道徳の学習を構成しようと思ったら、それは学習や生活の中に課題を見いだしていく形でなければ成立しないのです。

 道徳に対する考え方ほど、教師の中であやふやでかつ一致をみないものはありません。

 それが本来の道徳かもしれないことを、分かる「ゆとり」も大人が持っていないのが厳しいところです。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より